ノートの切れ端

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サニーサイドアップ - 3 

サニーサイドアップ

 この動物園はあまりに狭いから、動物たちは見慣れたころに他の動物園に引き取られていってしまうということがよくある。保護した動物なら怪我が治ったり、生まれた子供は大きくなったり。

 例えばライオン。あなたと初めてこの動物園に来たころに生まれた赤ちゃんは、大きくなりすぎて住む場所が手狭になってしまった。だからもっと大きな動物園に連れられて行ってしまうのだと立て看板に書いてあった。

 確かに狭そうだった。自分の背丈の3倍くらいしかない檻の中をぐるぐると回っては、飽きてしまったかのように寝転んであくびをする。

 ライオンが連れて行かれる先は、聞いたこともない場所にある聞いたこともない動物園だった。

「連れて行っちゃうのは仕方ないけど、ちょっと遠すぎるよ」

「でも仕方ない。大きくなり過ぎたから、この檻はこいつには狭すぎる」

 あなたは檻を掴む。そんなに狭いんだったらそのままこの檻を壊してくれればいいのにと思う。

「それはそうだけど。そんな遠くに連れて行かなくても、近場でもいいじゃない」

「距離なんて関係ないさ」呟いた私に、あなたは言う。「近くても遠くても、その気があれば会いに行けるし無ければ一生見られない」

 何か言い返してやろうかと思ったけれど、思い返してやめた。残りの時間は少ないから。

 その金色のたてがみは、いちばん高いところまで上った太陽の光をいっぱいに集めて、それ自体がひとつの太陽のように見えた。暖かくて眩しい。その姿を忘れないように、じっと目に焼き付けようとする。

 このまま本当に焼き付いて剥がれなくなってしまえば良いのに。そうすれば、その姿を永久に眺め続けることができるのだ。

「そろそろ昼ごはん食べようか」あなたは左腕の時計に目をやる。それは今日初めての行動で、私が絶対に見たくなかった行動だ。

「……電車の時間?」でも私も時計を見てしまう。

「新幹線のチケットはもう買ってある」あなたは頷く。「あとは上野駅までの一時間弱だ」

 まだだ。まだ日が傾くまでには随分余裕がある。だからこの暖かな冬の最後の一日は、まだ続くのだ。

 けれども、流れゆく時間に棹を差して縋るような情けない真似はしたくなくて、

「ふーん」

 と気の無い相槌だけを打つ。

 芝生なんてそこらじゅうにあるから、お弁当はどこでだって食べられる。ビニールシートを敷いてバスケットを開くだけだ。

「今日はいつもと卵を変えてみたんだよ」

 バスケットの中から取り出したハムエッグサンドの断面を見せつけるように、ゆっくりと時間をかけてあなたに渡す。

「たまごサラダのサンドイッチじゃないんだな。目玉焼きだ」

 そう言ったあなたが大きな口でかぶりつくのを見てから、私もひとつを手に取る。たまごの香ばしさはハムととてもよく合う。

「布教だよ」きらきらとサンドイッチの向こうにあなたを透かし見る。「あなたも、両面こんがりのターンオーバーを一度くらいは食べておいたほうがいいと思って。この良さを知らないまま行っちゃうのはあまりにも損だよ」

もぐもぐと、ゆっくりと時間をかけてあなたはターンオーバーの目玉焼きを食べる。そして、おぉと声を上げる。

「うん。これはこれで確かにおいしい」

「でしょ? 私のおススメなんだから」

「どことなく、マックの月見バーガーを思わせる味だったけどな」

「それは秋でしょ。今の時期だったら、多分たまごバーガーって名前になってると思うよ」

 私はあなたの膝枕を使ってごろんと横になる。日差しがとても暖かくて、今にも寝られそうなのだ。右手を前に出して太陽を透かし見る。とても眩しい。この季節はそこらじゅうに太陽があふれているみたいに見える。

 芝生の暖かさが気持ちよくて、ビニールシートはこれができるからいいなぁって思いながらあなたの膝の上でごろごろと転がる。端まで転がったところで、あなたの履いたスニーカーの靴ひもの赤が芝生によく映えているのを見つける。

「あれ、靴ひもが解けてる。」

 結びなおそうか? と聞くと、

「サイズが小っちゃくなっちゃったんだよなぁ。」と、あなたは首を振る。「だから歩いてるとすぐに解けるんだよ。もうそろそろ限界っぽいから後でどこかで新しいやつを買う」

「ふーん。まだあなたの足のサイズは大きくなるのね」

 私はあなたの言葉を無視してその赤い靴ひもを結びなおす。ごろんと横になったままだから少し体勢がきつくて、腕がつりそうになりながら。

 仰向けになると、あなたを透かして空が見える。切ったほうがいいってずっと言ってるのに伸びたままになってしまっているあなたの髪は金色に輝いている。

「向こうは、とても広いんだ」

 だからお前も頑張れ。あなたはそう言った。私の頭にぽんと置かれた手はとても暖かくて、仰向けになった私はこんなにも間近に太陽を感じている。

「向こうに着いたらメールするから待ってろ」

「うん。向こうのこと、いっぱい教えて」

 あたたかい。これは絶対に眠れる。寝てやる。起こされたって起きてやらない。

 寝返りを打った私の目の前で、あなたの真っ赤な靴ひもはもう解けている。それを見て私はようやく気付いた。

 そうか。あと少しなんだ。

 あと少しで春が来るんだ。



(サニーサイドアップ・終わり)


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サニーサイドアップ - 2 

サニーサイドアップ

 動物園は、坂をずっと登っていった先にある。見上げた坂のその上には太陽が輝きを増しながらぐるぐると自転するように熱をあちらこちらに散らしていて眩しい。家族連れに紛れながら坂を登っていくあなたを、手で直射日光を避けながら半歩後ろから眺める。

 あなたの歩幅はとても大きいから、遅れないようにと急ぎ足になる。その背中は一心に上を目指しているようで、太陽に向かって歩いて行くように見えた。

「もう少しゆっくり歩いてよ、さすがにちょっと速すぎる」

 追いつけずだんだん遠くなっていく背中に向かって言うと、あなたは振り返る。ちょっとだけスピードを緩めながら、それでもやはりまだ速い。

「俺が速いんじゃなくてお前が遅いんだよ。そんな歩きにくそうな靴履いてるから」

 あなたが指差したのは、この前買ってきたばかりのオレンジ色のショートブーツ。確かにほんの少しだけヒールは高いけれど、こんな日なんだからちょっとくらい春っぽい靴を履いたっていいじゃないか。

「靴のせいじゃないよ。だいたい、お弁当だって持ってるんだもん。重い分だけ遅くもなるよ」

 右手のバスケットを見せつけるように空にかざす。あなたが食べたがっていたサンドイッチなんだから、少しくらい気を使ってよ。

 私のその抗議にあなたは笑う。苦笑みたいなその表情が気に入らない。

「だから持つって言ったじゃないか。重いのなんて分かりきってるから」あなたはわざわざ私の隣まで降りてきて右手を差し出す。「今からでも持つから、早く貸せ」

 でも絶対にあなたにはこれを渡さない。伸ばされた手から守るように、バスケットを抱きかかえる。「ダメだよ。これは私が持たないといけない物なの」

「なんだよそれ」と、あなたはまた苦笑いみたいな表情で、先に歩いて行ってしまう。どこへ行くの、私はそのうしろ姿を見送りながら、それでも坂を上へと向かって歩き続ける。頑張ってもペースはこれ以上は上がらない。

 そのうちに歩いて戻ってくるあなたは、手にピンク色のアイスキャンデーの棒を二本持っていた。

「食うか? 今日は暑いくらいだから、多分おいしいと思うけど」

「まだ夏じゃないよ。春にさえなってないのに」でもあなたの大きな手からその一本を受け取る。

 山の上にある市営の動物園はあまり広くないけれど、近所のこども達で土日はいつも賑やか。だから休日には焼きそばとかフランクフルトとかいろいろな出店が出ていて、私は特に夏期限定のアイスキャンデーが好きだった。毎年春が終わる頃に出てきて、秋が始まる前にいなくなる。私が生まれる前からずっと、同じお爺さんが同じサイクルを繰り返していた。

「さっきお前が言ってたことが本当なら」と、あなたはアイスキャンデーを口に咥えて言う。「別に、春の前に夏が来たって問題はないだろ」

 テストが解けたら夏になるなら、と。あなたのその視線は私のほうを見ている。でも多分、見ているのは私ではなくて、その向こうに広がる空だ。だから、どんなに頑張ったってあなたと私の目は合わない。

「あのお爺さん、もう一年も見てなかったんだなぁ。ちょっと見たかった。」

「去年と何も変わってなかったぞ。何も特別なことなんてない。来年だって再来年だって見られるじゃないか」

「それはそうだけれど」

 あなたの言葉は確かに正しくて、何も言い返せないからあなたの真似をしてアイスキャンデーを口に咥える。

 黄色はレモンで緑はメロン。ピンクは甘酸っぱくて、多分いちご味。だけどいちごの季節は初夏だ。まだいちごには早すぎる。

「なぁ、ひとつ思ったんだけど」あなたは右手に持ったアイスキャンデーの棒を眺めている。「雪が解けたら春になるっていうんだったら、アイスキャンデーが解けても春になるのか?」

 ピンク色のしずくがとろりとアイスの表面を伝って、私は慌てて舐め取る。

「アイスキャンデーは冬の食べ物でも、春の食べ物でもないよ」そう言いながらがりりと先端をかじる。「だから、解けたって何にもなりません」

 解ける前に食べきってしまうから、私には関係ない。

 最近はこのアイスを食べるたびに思うのだ。この安っぽい味はまるで、飲み終わったフレッシュジュースのグラスに残った氷を口に運んではがりがりと砕くような味だと。さらさらとこぼれていく時間の残滓を両手で握りしめるような私は、子供の頃から変わらないこの味が羨ましいからぎゅっとしがみつく。だって世界は、望もうが望むまいがいつの間にか変わってしまうから。
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サニーサイドアップ - 1 

サニーサイドアップ

 その日は朝からものすごい暖かさだった。日本じゅうの春を土の上からこんこん叩いて起こして回ったみたいに賑やかな冬の最終端だった。

 いつもよりも早く起きてしまったのは、朝の光が眩しかったから。冬の最後の破片みたいに透明なクリスタルガラスの輝きをもって、カーテンの隙間からこぼれ落ちていた。いちごの果汁が砂糖のほうへ染み出してくるような浸透圧で、暗い部屋の中にじわじわと始まりの予感が充満しつつあった。あまりにも暑くて、もう寝ていられなかった。

 ずっと寒かったから、ちょっと前に降った雪は昨日までそこらじゅうに残っていた。だから散歩の途中の犬は自分のマーキングをふらふらと探し回った挙句に小首を傾げて歩いて行ってしまうし、ちょっと大きめのステーションワゴンなんかはエンジンを盛大に空ぶかししながらゆっくりと通っていた。そんなふうに世界にストレスを与えながら、絶対に削られないし解けるつもりもありませんといった意志の強さを見せつけていた雪だけれど、カーテンをそっと押し開けて覗いてみた外の世界にはもう欠片だって残っていなかった。あの雪は、いったいどこへ消えてしまったのだろう? 毎日見ていたら歩く邪魔をする障害物にしか見えなかったけれど、無くなってしまうと世界のピースがひとつ外れてしまったような心許なさを感じる。

 朝ごはんにはハムエッグかベーコンエッグがいい。ウィンナーエッグに比べて形がきれいに決まるから。どっちにしたって主役は卵だから、それをどうやっておいしく料理するかが重要だ。まずはコーヒーメーカーのスイッチを入れる。このひと手間が朝の充実度をジャンプアップさせる。油を多めに入れたフライパンに、 まず卵を割りいれる。白身が固まりだしてから強火でカウント3、その瞬間にベーコンを2枚フライパンに投げ入れたら卵をひっくり返して片方の上に置く。も う片方の上には別の卵を割りいれる。跳ね飛ぶ油の音を消し去るくらいに澄んだ、卵を割るときのこんという音。それはだんだん強くなってくるコーヒーの香りを何倍にも濃密にする。朝の気配はこの部屋で圧力を増している。私の心臓を撫でるように、揉みほぐすようにノックし続ける。

 差し込む太陽の光と湿度にいぶりだされた冬眠明けの熊みたいにのそのそと、あなたはいつも通りのタイミングで起きだしてくる。リビングのテーブルにどしんと座る音を背後に聞く。

「おはよう」

「おはよう」

 二つの皿の上の二つの目玉焼きは、きつね色の香ばしいターンオーバーと上がりたての太陽みたいなぴかぴかのサニーサイドアップ。あなたはサニーサイドアップにしょうゆをいっぱいかけた目玉焼きしか食べないから。

 待ちかねたようにいそいそと黄身をつぶし始めるあなたを横目で見る。サニーサイドアップの良さは今になっても理解できなかった。とろとろに流れ出す黄身は美しくないし、卵の生っぽさに耐えられないのだ。

 あなたのライトブラウンの髪は起き抜けにぼさぼさと、密度の高い春の朝日を反射して、まるで成熟したライオンみたいに見える。

「今日は暑いな」

 あなたは箸も止めずに言う。まるで皿に向かって話しかけているみたい。見た目によらず低血圧ぎみのあなたはいつも通り、まだ目覚めきっていない。顔を上げるだけでも精神力を使うんだってよく言ってる。

「うん、やっぱり動物園かな」

「久しぶりだしな」あなたは頷く。寝癖の髪がぴろりと動く。

「じゃあ、サンドイッチ作るよ」

「やっぱり、動物園にはサンドイッチが合うな。そりゃそうだ」

 その硬くて大きい無骨な手からは想像もつかないけれど、あなたは半熟のサニーサイドアップを食べるのがとても上手い。いったいどうやるのか分からないけれど、とろとろにこぼれ出た黄身は、白い皿の上に痕跡さえ残さない。

「うん。昨日まで残ってた雪も、もうきれいさっぱりどこかに消えちゃった」

「雪か。足下を見てないと靴が滑るし、氷がばら撒かれてるのと同じだから足下が冷たいし、全然いいことなかったな、あれは」

 あなたの言葉に頷かなくてはならない。雪なんて、春への足枷でしかないのだから。でも同時に、その言葉を丸呑みするわけにはいかないんだ。あなたは、ピースが足りなくなったこの世界を見ても何とも思わないのだろうか。

「雪が解けたら、何になるか知ってる?」

 ありきたりの言葉は面白くなんてない。でも雪は、そんなものにさえ縋らなくてはいけないのか。

「そんなの水になるに決まってるじゃないか。氷と一緒だろあんな冷たいものは」

 あなたの視線は窓の外。雪が解けて、春の陽気が地面に反射しては昇っていく世界の広さを眺めている。

「そうじゃないよ、窓の外を見てよ水たまりなんていったいどこにあるのよ、あんなにいっぱい積もってたのに。氷じゃなくて雪なんだよ、ふわふわで冬の間じゅうずっと世界の一部だったような雪」そこまで言って息が切れた私を、あなたはどう思いながら見ているのか。視線は未だに外の世界。

「雪が解けると、春になるんだよ」

息が切れながらの言葉に、あなたはようやく私を見る。それは呆れたような視線だった。

「春が雪の後に来るんだったら、沖縄には永久に春なんて来ないだろ」

 沖縄? なんで沖縄が突然出てくるの、そこはほら必要条件だとか十分条件がどうとか、なんか高校の数学であったよねでもどっちがどっちだったっけ、と、反論もできずにぐるぐる回り続けている私に、あなたは更にもう一言加える。

「雪が解けて春になるなら、一体なにが解けたら夏になるんだ?」

 目の前にある春を、あなたはもう咀嚼している。無色透明の分厚い膜みたいな春を目の前にして身を硬くする私を横目に。

「夏…例えば期末テストとか」

 それを気取られたくなくて取り敢えず口にした私の言葉を、あなたは大きな声で笑い飛ばす。

「期末テストか! 確かにそれは解けないと夏休みが来ないな。そして冬休みも春休みも来ない。いつも怖かった」

「普段から準備しておけば、そこまで怖がることないのに」

 俯きたい気持ちを抑えて見据えたあなたは、春を前にしていつもと何も変わらないように見える。だからそんな言葉で非難されるのだ。

 でも、春の訪れを先延ばしにできるなら、期末テストなんて解けなくたっていい。いつまでも受けることさえせず、ずっと同じ教室のすみの席に座っていたい。




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春の結晶 

短編集


 あなたは春ではありません。
 例えば桜。ある日突然、何万という花が虚空に生まれ出るのです。小さな花びらが南風に揺れながら、どこまで深く分け入っても消えることのない密度で空を埋め尽くしています。
 それは春で作ったジャムみたい。太陽の明るさでじわりじわりと身を浸して、とろとろの溶岩みたいにぐらぐら煮え立っています。
 透かして見ると、それは苺よりも鮮やかに、りんごよりも艶やかに、きらきらと春の始まりの朝日を乱反射しています。
 それはとても眩しいけれども、思わず逸らしそうになる目をぐっと堪えてその光を覗き込みます。文字通り、目に焼き付けようとするみたいに。


 なんだか、桜がいつもよりきれいに見える。あなたはそう言いました。あれは地震で崩れた事務所の内装を全部取り払った後のことでした。本棚もブラインドも壁紙さえも無くなった部屋で、窓枠に両手をぴんと伸ばしたあなたは窓際で桜並木を見下ろしていました。
 普段ならばブラインドに閉ざされていたから、窓の外なんて細切れにしか見えない事務所でした。でもあなたに言われてはじめて、外の世界の明るさに気がついたのです。
 事務所の外の世界があんなに明るいことを初めて知りました。帰るのはいつも暗くなってからだったから、そこには外灯に薄ぼんやりと照らされた夜桜しか存在しないと思っていたのです。
 そんなことをあなたの後ろ姿に向かって言いました。
 地震がなかったら気がつかなかった。こんなに崩れちゃったけど、悪いことばっかじゃなかったよね。ブラインドが無くなったおかげでこんな景色が見られたんだから。
あなたはそう言いました。
 どうしてもあなたの見る世界が見たくて、机から立ち上がりました。それはあなたがこちらを振り向いたのと全く同時だったように思います。
 ぱらぱらと降り積もる春の空気が、そのときに動きを止めたように見えました。もし春が世界に漂う何か無色で透明な波なのだとしたら、それはその間に次々と生まれては降り積もり重なり合って、目に見えないエネルギーを宇宙の一点に収束させていました。
 その中心であなたは笑っていました。
 その瞬間まで黒く塗りつぶされていた世界は、何万の桜を同時に開花させ、朝の太陽をプリズムみたいに反射しては集めてまわって、そのすべての光を躊躇なくあなたに注いでいました。
 春の粒子が凝集して形づくられたようなあなたは春の結晶でした。
 どこまでも純度の高い透明な春の結晶は、世界じゅうの春風を集めた温度で部屋を満たしました。世界を満たし、季節を満たし、乾ききった真空みたいな冬は消えてなくなりました。
 いくつもの上昇気流が生まれては弾けました。それはまるで、硬くて強かったこの星の重力がそのまま向きだけを変えてしまったようです。ずっとそこにあったけれど、だからこそ忘れていた片隅のシロツメクサの匂いのような。生まれたばかりの風はそんな懐かしさを持って吹き抜けました。
「春って、こんなに暖かい」
 金色の砂みたいにさらさらと落下する時間のなかで歌うようにそう言ったあなたから、目を離すことができませんでした。


 春の結晶は、すべてのものが形を変えてしまった後にひとつだけ残された炎のようでした。
 硬く冷え切った空気を、世界の中心でほどきつづけていました。


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お知らせと今後の案内 

未分類

こんにちは。
お知らせと今後の更新のご案内です。

しばらく更新頻度が減ることになると思います。
3月くらいにどうしても書いておきたい短編があるのですが、それ以外の更新はほぼできないと思います。

その理由は、小説の新人賞に応募するため、そちらの原稿に100%の力を注いでいるからです。
出す先は、第50回の文藝賞です。
閉め切りが3/31なので、またそれ以降はちゃんと更新できると思います。

とにかく今は、100%のものが書けるように日々努力しているところです。
せっかく来ていただいた方には申し訳ありませんが、今しばらくお待ちいただければ幸いです。
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メルティーキッス#1 バレンタインに一番合うチョコレートを 

メルティーキッス

そもそも私が姉に聞きたかったのはアーモンドチョコレートの作り方だったのだ。

それだって本当は、姉じゃなくて誰か他の人に教えてもらいながら作りたかったのだけど。友達に作り方を聞いて回ったら、

「知らない」

「なんか、すごくめんどくさいらしいよ」

「チョコレートなんて溶かして固めるしかやらないし」

という答え。そんなのばっかで誰も教えてくれなかった。

でも、どうしても作りたかったんだ。バレンタインまでに覚えたかった。せっかく作って渡すなら、自分が好きなものをあげたい。そして、たくさん作って私も食べたい。

6歳年上の姉は、お菓子と料理を作るのがとても上手だった。最近はぱったりと作ってくれなくなってしまったけれど、姉の作るシフォンケーキがとても好きだった。

バレンタインにはブラウニーやショコラムースなど、毎年のように新作を出してきていた。余った分をいつも味見させてくれて、そのおいしさにいつも感動していた。その中でも印象に残っているのがアーモンドチョコレートだった。

売っているアーモンドチョコみたいに、すべすべしたきれいな卵型というわけではない。形は不揃いだったし、ごつごつした岩みたいだった。けれど、とてもおいしかったのだ。

甘ささえ感じるその香気は、ただアーモンドだけのものというわけではなかった。奥深くまで華やかに輝いていた。そんなチョコレートだった。明治のアーモンドチョコレートよりもずっとおいしかった。

昔から、私にとってのチョコレートの理想はそれだった。

だから本来であれば、最初から姉に聞けばよかったのだ。あれの作り方を教えて、って。でも、あんまりそうしたくはなかった。できれば避けたかった。

19時前に家に帰ってきた姉は、ただいまーと靴を脱ぎ捨てて、そのまま自室にこもってしまった。多分こうなったらいつも通り、夕飯まで出てこない。

だから私は姉の部屋へと向かう。最近は自分から姉の部屋まで出向くことなんてなくて、ちょっと気が引けたけれど。でもこんなの、お父さんとかお母さんの前でしたい話じゃない。聞く相手が姉であるならばなおさらだ。

階段をそろそろと上って、ずっと奥にある姉の部屋の扉。閉め切られていてわずかな音さえも出てこない。意を決して、こんこんとノックする。

待ってみたけれど返事がない。

焦れてもう一度扉を叩こうと掌を上げる。そして振り下ろそうとしたときに姉が出てきた。部屋の中からローズの香りが流れ出る。

「ん? アンタどうしたの?」

Bluetoothの無線ヘッドホンをつけた姉は、既にスーツからジャージへと着替えている。ユニクロで買ってきた赤いジャージ。もう絶対に家から出ないつもりだ。

「えー……っと」ここで、忙しいのか、とか聞いたら、この人はめんどくさがってそのまま扉を閉めてしまうだろう。絶対に教えてくれない。だったら迷わずに、聞きたいことを聞かないといけない。「教えてほしいことがあるの」

「今忙しいんだけど」姉は取りつく島もなく、扉を閉めようとする。

「ごめん、すぐに終わるから聞くだけ!」慌ててこちらからもドアノブを引っ張る。「チョコレートの作り方を教えてほしいの!」

「ん? チョコレート?」姉は驚いた表情でこちらを見る。ドアを閉める力が緩んで、引っ張っていた私は転びそうになる。

「そう。いつか作ってくれたアーモンドチョコレート」

姉は腕を組んでしばらく考え込んでから、

「何? アンタ、オトコ出来たの?」と、にやりと笑った。「バレンタインの前日、人が頑張ってチョコを作ってる横で、気楽にテレビ見ながらげらげら笑ってたアンタにも。ようやく」

思わず言葉に詰まってしまう。やっぱり思った通りだ。姉はこういう話が大好きで、事あるごとにそんな話を面白がって私にふってくる。人に自慢できるような恋愛をしたことがない私はいつも小さくなるしかなくて、たまに反撃して聞き返したって姉の口から出てくるのはいつも違う男の名前だった。そうなってしまったら、もう勝ち目はないのだ。

だいたいバレンタイン前にこんなことを聞くなんて、目的が見え見えすぎる。だからイヤだったんだ。

「オトコなんてできてません」できてないから作るんです。チョコを。

「ふーん。若いねぇ女子高生。まぁ頑張るがいいわ」姉はにこにこと頷いている。何に頷いているのかはわからない。「でも残念だけど、アーモンドチョコはダメよ」

姉の言葉に私は反論する。「なんでダメなの。私はあれが好きなの」

「アーモンドチョコはすっごく手間がかかるし難しいのよ。アンタ、ちゃんとお菓子作ったことなんてないでしょ」

「……溶かしたガーナで星形のチョコレートなら作れる。作った」

あまりにも姉のお菓子がおいしすぎたから、私はずっと食べるほう専門だった。練習したって、絶対に姉よりもおいしいお菓子は作れないと思った。だとすると、私がお菓子を作れないのはある意味で姉のせいだと言うこともできるのではないだろうか。言わないけれど。

そりゃダメだわ。と姉は言った。そりゃ、頑張ればそれなりにはできるだろうけど、と。

「確かに、アーモンドがキャラメリゼされていく姿はとても美しいの。魔法で黄金色のドレスをまとったシンデレラ。でも、それがバレンタイン用なのだったら、作るのが大変な割に得るものがとっても少ない。なんでだか分かる?」

私は首を振る。

姉はふふっと笑う。人差し指を私の鼻の前に差し出す。

「味覚が子供過ぎるのよ」

その姉を、私は見上げる。

「子供なの? あんなに華やかな味のチョコレートなのに」あんなにおいしいアーモンドチョコレート、私の理想のチョコレート。それを子供すぎるだなんて。

そりゃ、姉に比べれば私はまだ子供には違いないけれど。

「チョコレートだけじゃ飽きちゃうからって、余計なものまで混ぜ込んじゃうの。あれもこれもって求め過ぎるから本質がぼやけてしまう。あなたが食べたいのはチョコレートなんでしょ?」

姉は笑った。ぽってりとした唇がつやつやと光っている。最近よく使っているというピンクローズのグロス。メイクが上手いのか、素材のなせる業か。いずれにしても、私ではこうはならない。

「チョコレートはキスと同じよ」その唇は艶めかしく動く。「せっかくバレンタインにあげるなら、男を落とすのにいちばんいいチョコレートを教えてあげるわ」

「いちばんいいチョコレート? なにそれ」そんなものがあるのか。

「言ったでしょ? チョコレートはキスと同じ。いちばんいいチョコレートはつまり、いちばん気持ちいい大人のキス」

「……分からないよ」キスなんてまだしたことのない私には、その感覚がどんなものなのか分からない。でも多分それは、ただ唇を合わせるだけのキスとは違うのだ。

「分からないなら教えてあげる。本当に気持ちいいキスを」

部屋の中と外、私たちの間にあった一歩分の距離は、姉の長い脚で簡単に詰められてしまう。私の鼻先を姉の長い髪が撫でて、ローズの香りがふわりと漂う。それはとても良い香りだ。

目を閉じて、と姉は言った。

え、嘘でしょ、と思いながら、それでも私はその引力に抗うことができない。

視界は姉によって完全に閉ざされて、心臓がどくんと脈打って、

暖かい体温が近づいてきて、

私の唇に何かとても甘いものが触れた。

そのまま私の唇を割るように、ぬるりと滑り込む。出そうとした声は虚空の中へ霞む。

熱い。

それは甘さの記憶だけを残して、熱の中へ溶けてしまう。まるで最初から私の中で溶けることを、私と一緒に溶けることを約束されていたように。

熱くて甘いチョコレート。

「……何これ」

口の中にはまだ熱を持った甘みが残っている。口の中に押し込まれたチョコレート自体は一瞬で溶けてしまったけれど。

「メルティーキッス。知ってるでしょ?どこにでも売ってる普通のチョコだよ」自分の指にくっついたココアパウダーをぺろりと舐め取って姉は言った。「男を落とすには生チョコレートよ。これは市販品だけど、生チョコには変わりないわ」

「なんで生チョコなの? 他にもおいしいのはいっぱいあるのに」まだ心臓のドキドキがおさまらない。それを隠したくて私はとりあえず言葉を発する。

「いちばん気持ちいいキスは、ただ唇を合わせるだけのキスよ。それだけで溶けちゃうんだから」

お腹のポケットからメルティーキッスの袋を取り出して、姉は自分の口へも放り込む。

「教えてあげるわよ、とろけるような生チョコのレシピを」そう姉は言った。

「……えーっと、それって、難しいの?」

「簡単だよ。誰にでも作れる」姉は、今日はもう疲れたから明日。と、ヘッドホンを再びかぶる。「本当に気持ちいいキスに、技術なんていらないのよ」

じゃ、と手を振りながら、姉はポケットからもうひとつメルティーキッスを取り出してこちらに放り投げる。ゆるやかな弧を描いた金色のパッケージは、きらきらと光をなびかせながら私の両手の中に収まる。

ゆっくり閉まる扉を、閉じた後もしばらく眺め続けた。

結局また、姉のペースだ。目的さえ変わってしまった。

金色のパッケージを破り、さっき姉がしてくれたみたいに、キューブを口の中へ押し込む。そう、確かにメルティーキッスはおいしかった。

まず最初に感じるのは熱の奔流。どうしようもなく熱く、強く、私をとろかし押し流そうとする巨大な波のうねり。

次に感じるのは抗いきれない甘さ。私の身体すべてが、そのただ一点の感覚だけを味わい尽くそうとするかのようだ。全身の感覚が集中し、その後、拡散する。春の巨大な桜のように全身が甘い。

最後に残るのは気怠さ。熱と甘さですべての酸素が焼き尽くされたみたい。息は早くなって心臓は大きく打ち始める。

そもそも私が姉に聞きたかったのはアーモンドチョコレートの作り方だったのだ。

だけど今は、どこまで行ってもやわらかく熱いメルティーキッスが、とても甘くて愛しい。



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(メルティーキッス 説明ページ) 

メルティーキッス

 バレンタインとチョコレートについての連作短編です。
 先の展開を全く考えていないので不定期更新になると思います。


 

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雪が降る町 

短編集


 「お願い高井くん、家まで送ってって」と、山中さんは言った。顔の前でぱんと合わされた両手に、ゆるやかなパーマがふわりと揺れた。

これが例えば飲み会の帰りだとか、重い打ち明け話の後だとか、そういう場面であればもう少しロマンチックな想像も膨らんだのだろうけれど。

「他の人たちはどうしちゃったんです?」

事務所には誰も残っていなかった。蛍光灯もあらかた落とされていて、オレと山中さんの机の周りだけが明るく照らされていた。

「みんなチャイムが鳴り始めた瞬間に帰って行ったよ。今日はすっごい早かった」

窓の外は事務所の中よりも明るい。昼過ぎから降り始めた雪が力を増しながら降り続いているからだ。いつの間にか牡丹雪になっている。地面も白く染まってしまっている。

「だったら、別にオレを待たなくてもよかったんじゃ……

「頼んだんだけど、みんな帰りが逆方向だったの。高井くんだけがおんなじ方向だし、スタッドレスだから乗せてってもらえばいい、って言ってた」

ささやかな抗議の声は、これ以上ないほどに理論的な反論にかき消される。これでは体のいいアッシーだ。

別に、そこまで嫌なわけではない。ただ、あんまり話したことのない女性の先輩と一緒に帰って、何を話せばよいのかと気詰まりなだけ。そもそも帰る方向が同じだということすら知らなかったくらいだ。

「山中さんも学園都市方面なんですね」

「うん、そうだよ。」そしてにっこりと笑った。「私はさらにその向こうだけど」

――うちよりもさらに遠いんですね」

「よろしくお願いします」

この人はずっと年上らしいけれど、美人というより、年下の元気な可愛い後輩みたいに見える。声がハスキー気味だから尚更。ぺこりと頭を下げて、ふわふわと揺れるゆるやかなキャラメル色の髪の間から上目づかいで見上げられると、なるほど、確かに、何も言い返せない。



「やっぱりスタッドレス履かないと怖いね」

下駄箱から出てみると、景色は一面、地面も空も真っ白な世界だった。ところどころに足跡が残っているものの、その上からさらに積もっていく雪は人の痕跡を次々に消していってしまう。

「スタッドレス、使わないんですか?」

雪原の中へと、ベージュのブーツをおそるおそるといった様子で差し出していく背中に問いかける。

「ふだんは使わないよ。」視線は自分の1メートル手前に注いだまま。「だって、普段はこんなに雪降らないし」

「そうですか。雪が怖いから履いとけって、いろんな人に騙された。」

そう言うと、山中さんは、あはは、と笑った。

「でも良かったよ。」うん大丈夫だ、ふかふかだから絶対に滑らない。と言って、山中さんは雪の上を無造作に歩き始める。さくさくと音を立てながら。「高井くんが騙されてくれたから、私はこうやって安心して帰れる」

それは良かったです。と、生返事をする。

「でも、久しぶりに見ましたよ。こんなに雪が降ってるところ」

手を腰の後ろで組みながら空を見上げて歩く山中さんに言う。

「うん。私もすっごい久しぶりに見た。小学生とか中学生の時以来かも」

「高校生くらいの時までは、雪は特別で、もっと積もらないかなって楽しみにしてましたけど。」前を行く山中さんの背中を見る。その足取りはこんな中でも軽かった。「今は全然ダメですね。通勤がめんどくさくなるから早くやんでほしい、ってそう考えちゃいます」

そのオレの言葉に、山中さんは足を止めてくるりと振り返る。間断なく積もっていく雪の向こう、空から注ぐ何千何万の光を浴びながらまるでスローモーションのよう。

「そう? 私は今でも、雪、好きだよ」

それは不意にきらりと現れた稲光のような瞬間だった。

芝居がかった振り返り方と、真冬の風に煽られて赤らんだ白い頬。ふわりと遅れる髪。それを雪のカーテン越しの真正面から見て、体の奥、心臓よりももっと奥がきりきりと痛んだ。まるで透明に燃えて輝くダイアモンドダストを一息に吸い込んだみたいだった。

「それは、こんな中を自分で運転しないから言えるんですよ」

その感覚に背を向けるように弱々しい憎まれ口を叩くと、

「うん。すごく助かる。ありがとう」

と言って山中さんは笑った。

駐車場には、既にほとんど車が残っていなかった。あのデミオですよ、と言うと、

「すごーい。車が雪だるまみたいになってる」と山中さんは駆け寄る。

「ちょっと待っててくださいね、エンジンをかけます」と言って、エンジンをかけると同時に車の中を見る。ちゃんと掃除をしておいてよかった、と今になって思う。

車の雪をぱたぱたと払っている間、山中さんはくるくると回っていた。

「目が回りそうですよ」

「だって、すごいよ。こんなにつるつる滑る。歩くとざくざくしてるのに。」

くるくると回りながら、山中さんは右腕をいっぱいに宙に伸ばしていた。ただそれだけのことで、取るに足らない雪のかけらは羽根みたいに見えた。

赤いロングコートを翻して、雪のかけらをいくつも、その小さな手に握りしめる。

それは吹き抜けた教会の屋根に描かれた聖書の一篇みたいな光景だった。とても美しく、手が届かないほど遠く、でも自分の世界を構成する一要素としてすとんと身体の中に落ちていく。

あなたの周りのその羽根は空から降っているのか、それともその身体から舞っているのか。

「山中さん、なんかクリスマスみたいになってます」

「クリスマス?なんで」

「髪に雪がいっぱいついてて、オーナメントをたくさん付けたくなっちゃう」

ゆったりと巻かれたカールにたくさんの雪を抱いて、暖かなキャラメルみたいな色の髪は暖炉でぱちぱちと爆ぜていく火花をやさしく見守っているかのよう。

「プレゼントを置いてくれても良いよ」

髪の中に、赤いコートに、ロングスカートに。羽根は雪みたいに、隠しきれないくらいに身体中に見えた。

ただその姿がとても眩しかった。

こうやって、と思った。

そうか、こうやって人は、特別な存在になるのか、と。



いつも見慣れた帰り道は姿を変えていた。

「すごーい。ファミマの駐車場が大雪原になってる。なんか知らない街に来たみたい」

畑とか陸橋とか信号とか、山中さんは、何かを目にするたびに声を上げる。

「そうですねぇ。何か、雪が降って、町が広くなったみたいな気がします」

何もかもが白一色に塗りつぶされていた。道路も、建物も、空でさえも。まるで周りの景色すべてがふわふわと浮遊しているみたいで、まったく現実感がない。

助手席のキャラメル色の髪。

唯一、いつも車のラジオでかけているJ-WAVEだけが現実との接点に思えた。雪が降り続いています、というニュース。

「見てよ高井くん、あの公園の箱ブランコまで……あれ」

急に黙り込んだ山中さんは、下唇に人差し指を押し当てて何か考えるように虚空を見ている。

「ん? 何かありましたか?」

「うわ、なんか懐かしい。この曲。知ってる?」

J-WAVEは何かの曲のイントロを流し始めていた。ベルの音色と降り積もるようなドラム。

「いや、分からないです。……あ、でも、ボーカルは奥田民生っぽい」

「ユニコーンのいちばん有名な曲だと思うんだけど」

「ユニコーンとか、活動してた時期のこと知らないんですけど。奥田民生のソロしか知らない」

「そうなの? いや、歌えば思い出すよ。ぼーくらーのまーちーにー、ことしもゆーきーがふるー。って」

それは普段のハスキー気味の声からは想像もつかない、透き通った歌声だった。

驚いたけれど、知らないものは知らない。「……いや、ごめんなさい。知らないです」

「そうなんだ……高井くんってもうそんな世代なんだね。なんか衝撃のジェネレーションギャップ」

あはは、と、山中さんは少しさびしそうに笑った。

奥田民生の気の抜けたような歌声がにわかに存在感を増して、それに山中さんの小さなハミングが混じる。

たまには二人で、じゃま者なしで、少し話して、のんびりして、と。

それはやはりとても美しい声だった。多分この歌は一生忘れない。

「じゃあさ、この曲ならどう?」奥田民生の歌声が消えてナビゲーターが再びしゃべり始めたところで、山中さんは歌いはじめる。

きみはぼーくーをー、わすれるーかーらー、と。

「いや、ごめんなさい、全然知らないです」

「なんか溝を感じちゃうなぁ。溝というよりもむしろ壁か。ユニコーンがすごく好きで、私はその昔、CDまで買ったのに」

久しぶりに引っ張り出して聞くわ、もう今の人には理解されない悲しみを感じながら。と、山中さんは言った。

「だったら、CD貸してくださいよ。」赤信号で、長いブレーキをかけて車は止まる。それをきっかけにして話しかける。「山中さんが好きな曲、聞いてみたいです」

「そうね、そうする」そして楽しそうに笑う。「私が好きなものを布教してあげる。高井くんも絶対に好きになるよ。」

雪はいよいよ強さを増して、道路さえも隠しはじめる。標識も制限速度も見えない。停止線も完全に消えているから、どこで止まるべきなのか、どこまで走って良いのかが分からない。

走っている間にも、景色は刻々と塗りかえられていく。

 

「あとはそのローソンを右に曲がればうちに着くよ。」

視界の端に見え始めた青く光る看板を指す。

「言うほど遠くなくて良かったです」

「ありがとう。あと、わがままついでにもうひとついいかな?」

助手席から身を乗り出してこちらを見ている気配が伝わって来る。雪道だからそちらを見られないことを、とても惜しく感じる。

「はい。もうここまできたら何でも来いです」

「もう今日は外に出たくないから、買い物したい。ローソンに寄ってもらっていい?」

「コンビニ弁当ですか?」

「そんなわけないじゃない。ちゃんと自炊してます」

エプロンをつけて、包丁を持ちながら真剣な眼差しでまな板を見つめる姿。確かに、それはとても似合いそうな気がする。

「いいなぁ自炊。今日は何を作るんですか?」

「あったかいものが食べたいから、クリームシチュー作ろうかなって考えてたの。サーモンとほうれん草のシチュー」

駐車場を横目にとらえて、右折のウインカーを出す。対向車は全然来ていない。

「クリームシチューかぁ。ここ数年食べてないですよ。聞くと食べたくなっちゃう」

駐車場の雪はまったく踏み固められていない。平然と運転しているつもりでも、ハンドルを取られたりブレーキがかかりづらかったり。思いもかけずに危険な運転になってしまって、どきりとしたりする。

それでも山中さんは平然としている。

「シチューは煮るだけだから、やってみれば意外に簡単だよ」

車はコンビニの入り口にいちばん近い場所に止まる。

「いいことを教えてあげる」

シートベルトをしゅるしゅると外して、山中さんはこちらを向いた。身長差があるからどうしたって上目遣いになってしまうその顔は、雪が乱反射しつづけるコンビニの明かりに照らされて、月みたいな美しさを覗かせていた。

――いいこと?」

「うん」

そして山中さんは笑う。唇のグロスがきらりと輝く。

「シチューの隠し味には白みそを入れると深みが出るの。とってもおいしくなるよ。うちに伝わる秘伝のレシピ」

秘伝だからあんまり誰にも言ったことないのよ。そう言い残して山中さんはドアを開けてコンビニの中へ入って行った。

白みそ。

そうですか。

多分、自分でクリームシチューを作ることなんてこの先一生ないと思う。けれどそのレシピを食べてみたい。おいしいという秘伝のレシピ。だから覚えておこうと思った。覚えておかなければいけない。

ラジオは再びニュースを流し始める。今夜は大雪になるでしょう、と。

それにしても。停車位置はここで合っているのだろうか。線が雪に埋まっていて見えないから、正しいのかわからない。

とは言っても、周りには車の姿がまったく見えない。心配することはないか、別に間違っていたって誰にも迷惑は掛からない。そう思った。

ローソンの中を覗き見るけれど、ガラスは曇りきっていて中の様子を窺い知ることはできなかった。山中さんは何を買っているのだろうか? 一緒に行けばよかったかもしれない。

行ってみようかな、とエンジンキーに手をかけながら迷っているうちに、山中さんが走って戻ってきた。

「寒いなぁ、車の中が暖かいから油断してた」がちゃり、と助手席のドアが開いて、手袋をしたままの手をこすり合わせながら車の中に入ってくる。「考えてみれば外が寒いことくらいわかるのに」

「何を買ってきたんですか?」と聞くと、

「牛乳だよ。足りるかどうか怪しかったの」そして、ごそごそと袋の中を探る。「あと、はい。これ」

そう言って山中さんがこちらに差し出してきたのは中華まんだった。

「肉まんですか?」

「もちろん肉まんだよ。こんなところで人にあんまんを勧められるほど、私は強くないよ。」

そう言って、自分も袋の中の一つを取る。

「私が高校生くらいだったときは、帰り道で肉まんを買い食いすることがいちばん冬っぽい行動だったのよ」空になった袋をくしゃりとコートのポケットに突っこむ。「あなたたちの世代がどうなってるか、私には全然わからないけど」

山中さんは肉まんにぱくりとかじりつく。口が小さいから、ひと口では具にまで行き着いていない。

「僕たちも一緒です」冬に入るコンビニの暖かさ。部活の後で冷めた手を温めながら、肉まんを頬張っていた。「山中さんと同じです」

かじりついた肉まんの皮はぼそぼそとしていて、具だってお世辞にもジューシーとは言えない。おいしくなったとは言うけれど、あの頃食べていたのとまったく同じ味だ。

ローソンの青い看板、手袋の上からでも感じる暖かさ、前を歩くピーコートの女子生徒。それはまるで古い写真立てみたいに記憶の中で何度も眺め続けた風景だけれど、今、その女子生徒はふわふわの茶色いパーマをなびかせながらくるくると回っていた。

羽根が舞っていた。

「同じなんだね。良かった」

山中さんは微笑んでいる。窓の外に積もり続ける雪を眺めながら、微笑んでいる。

「今気づきましたけれど。やっぱり雪って良いものですね」

見慣れたはずの景色。それは変わらずにずっとそこにあるのに、全然別のものに変わってしまったように見える。

もういい加減に見飽きていた景色。夜まで降り続けるという雪は、この景色をまだ変えていく。もっと遠い所へと。いったい、どこまでを見ることが出来るのだろうか?

「ね、すごく良いでしょ?」山中さんは肉まんを両手で持ちながら、まるでリスみたいだ。「私の好きなもの、ひとつ布教完了したのね」

雪はいつまで降り続けるのだろうか。いずれ止むのは間違いないのだけど、では雪が溶けた後の町はどうなるのだろうか。見慣れたいつもの町に戻るのだろうか?

「なんでも布教してくださいよ、いくらでも染まりますから」例えば白みそ入りのクリームシチューとか。

もし、いずれ溶けてしまうものだとしても。今は。雪が降っている今だけは。いつもと違う景色を眺めていたい。




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年越しそば 

短編集

 「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」
 台所で慌ただしく年越し蕎麦の準備をする妻に呟く。そっと後ろに立って、抱きすくめるみたいな声音で。
 そんな伝説の睦言でさえも、妻には届かない。ただ「ふーん」と気のない返事をされるだけ。
 「言葉は弓で射られた矢だよね」私は些か焦りながら妻に言う。
 「どのあたりが?」妻は鍋をじっと睨みつけながら呟く。細かい泡が断続的に立ち昇る。私のことなんて視界の隅にも入っていない。
 「どんなに美しい軌道を描いても、受け入れる的が無いなら永久に刺さらない」
 鍋の底からひときわ大きな泡がぼこんと浮かんでくる。それを待っていたかのような妻の握る長い菜箸は、獲物を見つけた鷹の鋭さで鍋から昆布を掴み取る。
 「私が気にしてるのは初詣のことだけよ」妻は昆布を掴んだままの菜箸をこちらに向けて、やっと私と目を合わせた。「一年の最初なんていう、とても特別な日だから。出発するのが遅れたらすごく並ぶの」
 「どうせ休みなんだから、並ぶくらい良いじゃないか」
 「見てる神様だって飽きて休みたがるくらいの混み方でしょ。」
 そしてこちらに興味を無くしたように、袋を破って麺を鍋にぱらぱらと振り入れる。それは新しい年の来訪を祝福する紙吹雪みたいだ。
 「でもしかし」
 「いくら大晦日まで仕事してて疲れているからって」伝えるべき中身を持たず、取り敢えず発してみただけの私の言葉を見苦しいと遮るように、妻は振り向いた。それはお玉を取るついでに仕方なく、といった風情だった。
 「誰もが何かを抱えながら、次の年へと足を踏み入れるの。望む望まないに関わらず。初詣に行かずに寝るなんていう逃亡行為、許されるはずがないの。」
 妻には全て見通されていた。
 眠い目をこすると、欠伸はまるで太古の昔から営々と培われてきた反射行為であるかのような図々しさで浮かび上がり、しかも止まらなくなる。
 疲れた足で立ち続けるのも億劫になり、テーブルの硬い椅子へ向かって崩れるように座り込む。
 「眠いんですけど」
 もう本音を隠すこともやめて、半ば懇願のように呟く。
 眺める妻の背中。焦げ茶色のセーター。湯きりを一回、二回、そして三回目で丼へと麺は投入される。
 「あとちょっとだけ頑張ってよ、ね」思いがけず妻は振り向いた。「さくっと行って帰ってきて、朝寝をしましょう。三千世界の烏を殺す勢いで、長く、ゆっくりと」
 初日の出見ようとか、そこまでの無茶は言わないから。
 再び湯きりを行ってから、妻はそう言った。
 「仕方ないなぁ、初詣までなら」正直なところ、初詣を許してしまうと、初期微動の後のセカンダリ波のごとき早朝の『初日の出参り』が押し寄せて私は確実にぺしゃりと潰されるという恐怖があったのだ。
 それが避けられるならば、多少の犠牲はやむを得まい。私は内心で嘆息する。
 「できたわよ」妻は満面の笑みで丼を私に手渡す。
 「…あれ。海老天は2本ずつだったはずじゃ?」
 何故か丼には海老天が3本乗っていて、見ると妻のほうには1本しかなかった。
 「いいのよ。海老にはタウリンがいっぱい含まれているの」妻もテーブルに着いて、箸を取った。 紅色の、漆塗りの箸だ。「これから体力使うんだから、たくさん食べて元気を補充しないと」
 「そうか。ありがとう」妻の心遣いに感謝しながら、海老天に噛り付く。「うん、おいしい」
 「三千世界の烏を殺して、一緒に朝寝をしましょう」箸を握ったままでまだ蕎麦に手を付けず、妻は歌うように言った。
 「いや、一緒には寝ないでしょ」
 私は指摘する。妻の寝相はグラウンド整地用のコンダラのごとく容赦無きため、普段は別の部屋で寝ないと眠ることが出来ないのだ。
 「あなたが私に差し出してくれた睦言、もう忘れちゃったの?」妻は箸を静かに差し出す。「私は忘れてないわよ。一緒にいつの間にか眠ってて、そのまま朝まで寝坊するの」
獲物を追い立てる鷹の鋭さ。ぴたりと私に照準を定めた紅色の箸は、確かに猛禽が突き立てる爪のようだった。
 「いや、あれは言葉のアヤというかなんというか…」
 「言葉は弓で射られた矢だよね。確かに私はそう思う」
 妻の目は余りにも鋭いタナトスを湛える。それは艶かしくさえある。
 「風に流されて、意図とは違うところに刺さるの。そして刺さったら抜けない」
 「えーと、海老天返そうか」
 「食べかけはいらない」私の言葉に、妻は風を切る矢の早さでぴしゃりと言った。
 海老天は重みを増している。それは重いコンダラである。汁を吸い込み切ったのだろう。
 「えーと、初夢を見る仕事があるから、今日はゆっくり寝ないとまずいんじゃないかな…」
 「初夢は1月2日の夜に見るものだよ」
 初夢に掛けた儚い願いさえ蹴り飛ばす。
 これは夢の中ではない。現実に存在する本物の鷹だ。
 「あんまり来年のことばっかり言ってると、鬼が笑うよ。」私は言う。完全に白旗である。まさに、煮て食うなり焼いて食うなり、の心境。
 あきらめて蕎麦をすする。妻も満足したように箸を持ち、するすると食べ始める。
 しばらく黙々と食べ続ける。蕎麦をすする音だけが部屋に響く。
 「……おいしいな、この蕎麦」
 私の呟きに妻は大きく頷く。「当たり前じゃない。ちゃんとだしを取った、本物のそばなんだから」
 そして再びすすり始める蕎麦の音。意識して食べてみると、確かに染み渡る蕎麦であった。
 「来年もよろしく」そっとそばに紛れこませるように、妻への言葉。
 「来年のことを言うと鬼が笑うよ」そう言って笑ったのは妻だ。それは鬼ではないはずだと信じたい。 「まずは今年のことを考えましょうよ」
 妻に示されて時計を見ると、すでに12時を回っていた。知らない間に日付が変わっていたのだ。
 そばのことを考えている間に年は明けていた。
 初詣はもう少し後でもいいかな、と私は妻に言う。「もう少しゆっくりと、味わって食べたい」
 あんまり遅くならない程度にね、と妻は言う。
 「とても特別な日だから、少しくらい並ぶのも良いかもしれない」
 私がそう言う間にも、ひそやかに夜は更けていく。
 それはいつもと変わらない夜であり、特別な夜だ。




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