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0 - コーンポタージュ・エクストラホット

降って来ちゃったね。と、原田君は言った。

エスカレーターを下りきると、ガラス張りになった8号館の玄関の向こうにちらちらと雪が舞っているのが見えた。外からの光を遮られたPCルームの中にずっといたから気付かなかった。

たいした時間でもないのにすっかり暗くなってしまっている。既に自動ドアの向こうでは外灯が明滅している。ちかちかと、息をひそめたような明かり。ここから見ても分かるくらいに空気は張り詰めている。

「天気予報では雪なんて言ってなかったんだけど」

原田君は手にはーっと息をふきかけている。エアコンは効いているけれども、外は多分ものすごく寒い。薄い窓とか自動ドアだけじゃ防ぎきれないくらいに。

「私も、傘とか持ってきてないなぁ。でもなんか、すぐに止みそう」まだ降り始めだからなのか、雪のスピードが遅すぎるからなのか。地面に落ちるたびに溶けて、景色はいつもとあんまり変わらない。「ねぇ原田君、もう少し弱くなるまでそこのミーティングスペースで休んでいかない? 法学のレポート分、ジュースおごるよ」

ゆっくりとにっこりと笑って私がそう言うと、

「え? こっちも過去問コピーさせてもらったのに」原田君はクリアファイルの中に入った言語学概論の束を見る。

「その分はまた別口でおごってもらうことにする」

私が言うと原田君も笑う。「うん、今度よかったらおごるよ。」

「またいつか、時間ができたら」そのいつかは、来るのか分からないけれど。

自動販売機のほのかな光もたくさん集まると少しは明るくて、ぽっかりと浮かんだ密やかな三日月みたい。長い道を静かに照らしている三日月。

「じゃあおごってもらうよ。」どれにしようかな、と選んでいる原田君の横で、私も少し悩む。ココアとかレモネードとか。あんまり好きじゃないけどこういうときには缶コーヒーでもいい。とにかく考え付く限りすべてのメーカーの自動販売機があるので、ここで買うたびにいちいち迷ってしまう。

とんとんとん、とプラスチックのショウケースを叩く原田君の指。その指を眺める。細くて長い指。まるで女の子みたいに。この指は深海の波を想像させる。オーロラみたいに優しく打つ。

「もう決まった?」原田君が笑って、ふわりと空気が震える。

「うーん――迷うけど、レモネードにしようかなぁ。」三日月みたいにひそやかな光に包まれて眩しい。「原田君は決まったの?

「うん。僕はこれにする」

私はカバンの中から財布を取り出して100円玉を入れる。「……コーンポタージュ?」

「うん。あったまるよ」そしてコーンポタージュの缶はごとんと音を響かせる。

原田君はかしゃかしゃと音を立てて缶を振る。私はそれを眺める。「昔飲んだような気もするけど、覚えてないや。なんか薄くて、あんまりおいしかった記憶はないなぁ」

「それは昔の話。最近のコーンポタージュはおいしくなってるんだよ。それなりに」

「……それなりに、ねぇ」原田君の手の中、プルタブは、ぱこんと小気味よい音を立てる。それを私はじっと見ている。「なんか騙されてるような気もするけど。私もそれにしてみようかなぁ」

コーンポタージュのボタンをぱちんと押す。缶はごとんと音を立てる。

缶は暖かいというよりも熱い。持ち続けていたら火傷してしまいそうなほど。急いで開けたプルタブがぱこんと音を立てた瞬間、張り詰めていた冬の空気は密度を更に高めた。

ふわりと優しい音をたてて突風が吹く。世界と自分との境界が曖昧になる。自分は世界に溶けだして、世界は自分の中へ混ざって行く。

「……あたたかい」

「そりゃそうだよ。」原田君はコーンポタージュをごくりと一口。「あたたかさと甘さだけがコーンポタージュの構成要件なんだ。」

「なんか法学部っぽい言い方だよね、それ」さっきまで法学教えてたじゃないか、忘れたの?と笑う原田君に聞いてみる。「じゃあ、ホットのキャラメルマキアートはコーンポタージュになるの?」

「それは違うよ」原田君は即答する。「キャラメルマキアートにはさらにカフェインも入ってる。だからコーンポタージュとは別のもの」

分かるような、分からないような。ただ、このコーンポタージュはキャラメルマキアートよりもずっと甘い。

あたたかいコーンポタージュを飲みながらガラス張りの玄関の向こうを眺める。雪はまだやむ気配がない。それどころか少しずつ強まっている気さえする。

でも、コーンポタージュを握りしめた手は、今は熱い。

「雪って、暖かいのよね」

子供の頃、雪は暖かかった。音も立てずに密やかに降って積もって行く雪を眺めるのはいつだって家の中。灯油ストーブのにおいと騒がしいテレビの音。息がつまりそうに赤い、もぐりこんだこたつの中。雪が降るまではものすごく寒いけれども、一度降り始めてしまうとこの上なく暖かかった。

「雨は冷たいけれどね。確かに雪になっちゃうと暖かい」

自動販売機のコンプレッサーの音が止まってしまうと、物音はまったくなくなってしまう。すべてが雪に吸い込まれていく。

私たちのほかには何もないみたい。

手持ち無沙汰で手の中の缶をぎゅっと握りしめる。手はじわじわと暖められていく。ゆっくりと濃くなっていく時間。

「世界って、なんかずっとこうだったように思える。ここに誰かがいてもいなくても」原田君は金色の缶をくるくると回している。ひときわ大きく揺らぐ深海のオーロラ。

ねぇ、と打ち明け話みたいに。原田君はひそやかに口を開く。「コーンポタージュのコーンを残さずに全部食べる方法知ってる?」

「コーン? 缶の中に貼りついて出てこなくなっちゃうやつ?」

「そう。出てこなくなったら負けなんだ」

「うー……出てこなくなったら缶の後ろからぽこぽこ叩くしかないんじゃないの?」もちろんそこまでして食べようとは思わない。

「違うよ。貼り付いちゃったらもう出てこない。どんなに叩いても無駄だよ。出てこなくなる前に、こうやってくるくる回しながら飲むんだ」

ゆっくりと傾いていく金色の缶の底が、ゆらりゆらりと円を描く。わずかな光をきらりきらりと乱反射させる。それはまるで、金を内包した砂時計が落としていく時間の粒のようだった。ぱらぱらと、世界が産み落とされていく。

「本当にそれでうまくいくのかなぁ」

私も同じようにやってみる。くるくると。

見上げた金色の缶の向こうには天井があって、さらにその向こうには空は見えなかった。ただ落ちてくる雪が羽根みたいだった。空気をいっぱいに孕んでひらひらと、こうやって見てみると、雪は想像していたよりもずっと儚い。風がひと吹きすればどこまでもどこまでも飛んで行ってしまいそうで、こんなものが地面に積もって世界を変えてしまうなんて信じ難かった。

記憶の中の雪は、もっとずっと大きかった。ぼたぼたと氷のかたまりみたいに。ひと粒一粒が世界の形を一足飛びに変えていく。ちょっと目を離したら、見慣れていた景色はもうどこにも見えない。ちょっと前まで見えていた道路のガードレールも埋まってしまっている。それが雪だった。

ポタージュの中のコーンはくるくると、引力を受けて落ちていく。大粒のコーンのひと粒一粒が描く螺旋。それが今の私には見えている。

金色の海の中を螺旋は泳いでいる。いくつもぶつかり合って絡まりながら。

「雪、やまないね」

私が言うと原田君も頷いた。「うっすら地面が白くなったなぁと思って見てたら、いつの間にか地面が見えなくなっちゃった」

世界は変わっていく。

「――確かに、こうやって飲むと一粒も残らないね」私は片目をつぶって、缶の底を覗きこむ。コーンは一粒も残っていない。

空になった金色の缶をくるくると回す。雪は積もっていく。くるくると積もっていく。

「こんなに甘くてあったかいのに、残すなんてもったいないでしょ」

大きなミトンをはめた女の子がふたり、空を見ながら歩いていく。傘も差さないで、腕を空に大きく掲げて雪をつかもうとしている。青とピンクの長靴は地面を覆いつくしてしまった雪にくっきりと足跡を残していく。

螺旋が回っている。

その足跡が消えていくまでの時間、私は金色の海の中を漂っていた。どこまでもどこまでも広がった果てしない中の、まさにこここそが、無限を形づくる一要素なのだと思った。

「今まで、本当に大事なものを無駄にしてきたんだなぁって思う」

私は雪を思っていた。雪が積もっては消える海底を見ていた。今は空になってしまったコーンポタージュの缶を持ち続けたまま。

そして原田君は缶を持って立ち上がった。ふわり。どうしたのかと見つめていると、すっと近寄ってきてそのまま私の手の中の缶をさっと持っていく。

眩しい。

たいして強い光じゃない。でもその一瞬、確かにオーロラの燐片に触れた私は、ふいに海の中に差しこんだ光に目を細めた。

二人分の缶をまとめてゴミ箱に捨てて、原田君は、

「雪が降るとこんなに景色が変わっちゃうなんて、忘れてた」そう言った。

ここはどこなんだろう。暖かくて見慣れない場所。さっきまで見えてたはずのベンチだとかイチョウの木だとか大学を立てた人の銅像だとか、そういうものはいったいどこにいってしまったのだろう。

雪はさっきまで弱かったのに。

自動販売機のコンプレッサーが再び動き出す。ぶおん、ぶおん、と等間隔の息を吐き出す。私の手が届かないところでいつからか動き出した歯車の音。私はその音を呆然と聞いている。ただ原田君の手が触れた右手の甲だけが熱を持っていて、私をつなぎとめている。

「なんか、ずっと前からこうだったみたいに思える」この音は永遠に繰り返していくようなリズム。

いずれ私たちがいなくなっても、そんなこと気にせずにずっとそこにある。

今となっては雪のある景色を見慣れてしまう。少しずつ景色を侵食していって、もうベンチの場所さえ、色さえ正確に思い出せない。

「さっきの話だけど」

真横に原田君の声を聞く。

「え? ――いつの話だっけ」私が聞くと、

「言語学概論のレポートのお礼」と、原田君が答える。

雪は右へ左へ、ふらふらと迷いながらも、もう溶けない。

「うん」

「今からどこかで返そうかな。どうせ雪が降ってる間は電車も動けないと思う」

「うん」私は頷く。

多分、この雪はもうしばらく降り続くと思う。止むとは到底思えない。

雪はいよいよ強くなっていく。景色はその間も変わり続けていく。多分まだまだ変わっていく。


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