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3.3 - 不二家のホームパイ(3)

「甘いもの食べたい」と皆川くんが言ったのは、落ち着きすぎた私がうつらうつらとし始めた瞬間だった。

「……え。甘いもの?」意識が飛びかけていた私には、あまりにも突拍子のないその言葉が現実に発されたものだとは俄かに信じられなかった。

「はい。甘いものです。クッキーでもチョコレートでも」

私はあくびを噛み殺しながら目をこする。「さっきあんなにいろいろ食事が出てたのに」

「だからですよ。しょっぱいものとビールばっかり入れてたら、なんか別腹が落ち着かなくて」

「まず別腹から落ちつけようとする人なんて、初めて見た」

私は笑う。少しだけ身を乗り出して上目遣いの、サービス業の笑顔。同じ愛想笑いでもこういうのならば疲れないのだけど。

「ハンバーグばっかり食べてたら疲れちゃうから、ご飯とかパンが食べたくなってくる感覚と同じなんですよね。やっぱり別腹っていう呼び方がいけないのかなぁ。」

足をぶらぶらさせながら、やっぱり皆川くんは前を向いたまましゃべり続けるから。私の渾身の笑顔も皆川くんの目には届かず、私はそれを少し不満に思う。

「でも甘いものかぁ。残念ながら今は持ってないな。」

目があったら今度こそ笑いかけてやろう、と思って、意地でも皆川くんの目を見ながら話す。意外に睫毛が長いことに気がつく。本当は、ふすま一枚隔てた向こうにある私の鞄の中にはメープルビスケットが3枚入っているのだけれど。もうしばらくは戻りたくない。

「ミスターイトウのチョコチップクッキーも?」

不意に視線をこちらに向けてくる。俯いていた睫毛が蛍光灯の光をぱっと散らす。突然合った視線に、心臓のほうがびっくりして跳ねる。

「ミスターイトウね……覚えていたんだ」不意を突かれたから、笑いかけることなんてできなかった。思いがけず私のほうから目をそらす。

「ずっと覚えてましたよ。忘れるわけありません」

それはどっちの意味なのか。何が大事だから覚えていたのか。私は適切な返答をすることができず沈黙するしかない。

ざわざわと、ふすまの向こうの騒ぎ声が耳に障る。私はいったい何を言えばいいのだろうか。アルコールに浮かされた頭は明確な思考を紡ぐことができない。私って、こんなにお酒に弱かったっけ。たったのビール2杯で。

皆川くんは結局、ミスターイトウのクッキーを買うことができたのだろうか。もし未だに探しているんだったら、売ってる場所を教えてあげたほうがいいんじゃないだろうか。そう思った私が口を開きかけたとき、

「仕方ないなぁ」皆川くんはごそごそと、緑色のウインドブレーカーのポケットをまさぐる。「備蓄食糧を放出します」

はい、と手渡されたのは不二家のホームパイだった。顔を見ることができず、渡してくる手をじっと見つめる。大きくて握力がありそうな、技術者の手。ホームパイ越しにもその暖かさがよく分かった。

「なんか微妙に割れてるんですけど」

その手が渡してきたホームパイは、袋の中の2枚ともが半分に割れていて、あまりにも不格好だった。

「持ち運ぶとそうなるのは自然の公理です。賞味期限はまだまだ大丈夫だから安心してください」皆川くんは迷うこともせず、自分の袋から3分の1に割れたかけらを取り出して口に放り込んだ。「割る手間もいらないし、むしろ食べやすい」

本当はさっきの天ぷらとか炊き込みごはん食べたいんだけどなぁ、などと思いながら。皆川くんが1枚を食べ終わるのを見て、私も袋を開けて中身をもらうことにする。半分に割れたひとかけらを口に運ぶ。

バターの香りがふわりと漂う。記憶の中にあるよりもずっと香り高かったホームパイのバター。さくさくとした歯ごたえが半ば夢の中にいた私に現実感を引き戻していくようだった。

手元に残ったウーロン茶を飲む。もうだいぶぬるくなってしまったけれど、悲しいほどにすっきりとした後味が熱に浮かされた頭を冷やし、きれいに何もかもを洗い流していくように思えた。

「おいしい」思わず口に出す。

「ですよね。持ち運ぶにはこれがいちばんです。チョコレートものはどうしても夏の暑さで溶けちゃうから」皆川くんはうんうんと頷いた。

「こんなにバターの香りがいいなんて思ってなかった。私も買って、会社に置いとこうかなぁ」

「そんなに気に入ってもらえると嬉しいです。でも」

「……でも?」

皆川くんはウィンドブレーカーのポケットをぱんぱんとたたく。正面の天井のほうへ向きなおる。「僕は今、備蓄食糧を失ってとても怖いです。ウィンドブレーカーのポケットはもう空です。街中で突然カロリー不足で倒れたら、動けなくて行き倒れるしかありません」

私は笑った。苦笑するしかなかった。「うん。ミスターイトウのチョコチップクッキーで良ければあげるよ。まだたくさんあるから」多分、今くらいの時期になればチョコレートが溶けることもないはず。

「ポケットは二つありますけど」

「いいよ。三つでも四つでもあげるから」

「やった」皆川くんは正面を向きながら小さく握りこぶしを作る。

クッキーのことでこんなに喜べる皆川くんを見て、何か置いて行かれたような感覚さえ覚え始める。
 そんな私を見透かしたかのように皆川くんは言った。「また一緒に食べましょうね」

「うん。そうだね」いちいちどきりとさせられるのは、目の前の人が何を考えているのか良く分からないから。

そろそろ戻らないといけない時間かもしれない。だけど、別にもう戻らなくてもいいかな、とも思い始めていた。

私は、笑った表情を作ったまま、皆川くんに向けて話しかける次の話題を考え始めている。


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