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4.3 - ファンタオレンジと秋の空(3)

「今の時間、食堂ならだれもいないし目立たなくていいですよ」と言う皆川くんに連れられて、食堂までやってきた。

昼食の時以外で食堂に入ったのは初めてだった。耳に馴染んだいつものざわめきは今はなくて、冷え始めた空気がしんと張り詰めている。

ばたりとドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。

「食堂は結構、休憩で使ってる人が多いんですよ。」

前を歩く皆川くんに、私はただ、着いていくだけ。

「椅子がいっぱいあるから広々使えそうだよね」200人分はありそうな座席には、今は、誰も座っていない。

「あとはこれですよね」皆川くんは、立ち止まると、目の前に何台も据え付けられている、いろんなメーカーが連なっている自動販売機を指さした。「飲みたいものがだいたいある」

確かにそうだ。缶コーヒーなんかはほとんど見たことがないようなものまで含めて30種類くらいあるし、他にもお茶、ジュース、スポーツドリンク、ゼリーとかおしるこまである。今は全部コールドだけど。

私はあんまり喉も乾いていなかったし、お腹もすいていなかったので小さいお茶にした。

「さっきから、もうずっとこれが飲みたかったんです」そう言って皆川くんが自動販売機から大事そうに取り出したのは、ファンタのオレンジ味だった。

「ファンタオレンジ……なんかすごく懐かしいなぁ」自動販売機で売られているのは良く見るけれど、実際に買って飲もうとする人を見ることは、今はほとんどない。

「運動した後にはこれって昔から決まってるんですよ。」

皆川くんの後について、普段は座らない窓側の席に腰を下ろした。二人で向かい合わせに。私は右手に、皆川くんは左手に窓を見る位置。

皆川くんがプルタブをかちりと倒す。

ふわりとオレンジの香りが漂った。想像していたよりもずっと強い香りだった。

ごく、ごく、ごく、ごくと、ひと息で皆川くんは多分、3分の1くらいを飲み干した。いい飲みっぷりだなぁと眺めていると、ふぅと息をついて缶を机に置いた皆川くんと目があった。けれどもやはり、すぐに逸らされてその視線は窓の外へと行ってしまう。

さっきの話題を思い出す。押せば行けるらしい人。

実際どうなんだろうなぁ、とその横顔から目を盗み見ようとする。長い睫毛に窓から差し込むオレンジ色の光が瞬いている。

眩しい。

私の周りで、幾千の小さい光みたいにオレンジの香りがちらついている。ファンタの中の、生まれては消えていく泡。

そういえば、と思った。私は皆川くんについて何も知らない。

「皆川くんって、」私は声を出した。オレンジの中心へと、そっと手を差し伸べるように。弾け過ぎた炭酸の泡が室内の酸素を残らず持って行ってしまうようだ。「もともとは材料開発部だったんだよね。そこから営業って、随分と遠いところに来たみたいだけど」

その視線がちらりと私を捉える。「技術営業なんです」すぐに逸らされてしまうけど。

技術営業。今まで私の周りにはいなかったけれど、技術的な話ができる営業っていうやつらしい。たまに会って話を聞くと、営業とは言いながらも、考え方から全然違ってすごい。

「技術営業なんだ。知らなかった。今までうちの課には技術営業っていたことないし。――でも、どういう仕事をするの?」

「炉のメンテナンス要員でないことだけは確かです」そう言うと皆川くんは笑った。「一応、この会社に入ってから2年半ずっと、今度出る新製品の開発をやってたから。その販促が仕事だって言われてはいますよ」

「自分で作った製品を、自分で売るんだね」私には良く分からない世界。「なんか、すごいなぁ」

「まだ発売されてないから、暇で暇で現場の手伝いをやるくらい暇なんですけどね」

皆川くんが笑って、私もつられて笑った。

それにしても、3年目なのか。年下だとは分かっていたけれど、そんなに若いとは思っていなかった。自分の年と比較しようとして、やっぱりやめた。

皆川くんについて、知らないことはまだいっぱいある。ぱちぱちとファンタの炭酸が弾ける音がして、そのたびにオレンジの香りがちらりと瞬く。

私が発するべき言葉は、浮かんでは消える。追いかけることもできずにただそれを眺めている。

程なくして、窓の向こうに視線をやったままの皆川くんが言った。

「ファンタを飲むと、海が見たくなるんですよ」

海? 皆川くんの視線の後を追うように窓の外に目をやる。

おぉ。と声が出た。

窓の外には工場地帯があって、その向こうには色とりどりの車がいっぱい並べられた自動車工場の港があった。そして、さらにその向こうには海が見えた。一面の大パノラマというわけにはいかないけれど、欠片しか見えない普段の景色とは違い、港から水平線まではっきりと続いているそれは確かに海だった。私がいつも座っている場所からは随分離れていて、食堂の窓からこんなに大きく海が見えるなんて知らなかった。

「海の季節ももう終わっちゃったんだよね」季節が去っていけば、私にできるのは見送ることだけ。

「夏はいつの間にか終わっちゃいましたけれど、僕は秋のほうが好きなんです」

「そうかなぁ。どんどん終わりに向かって下りて行く感じで、ちょっと悲しい季節なんだよね。」

それは多分、リエにもあなたにも分からないはずの、つるべ落としの加速度。

「むしろ始まりの季節ですよ。やっとあのじめじめしたプレッシャーみたいな湿気から解放されて、遠くまで見える。」

そう言って皆川くんは、手を伸ばして窓を開けた。

換気扇が回って気圧が下がっている食堂の中で、それは気圧差のせいだったのかもしれない。ただ、一瞬、想像していたよりも強い風が吹きつけてきた。

それはオレンジの秋風だった。

さっきまでふわふわ漂っていた何千何万のオレンジは、沈みゆく夕日の直進力で私を射抜いた。そして、湿度の高い食堂で私にまとわりつく霧みたいにもやもやした水分を一気に吹き飛ばしていた。

「水平線だってあんなにはっきり見える」

指し示す指に誘われて、向こう側の海を眺める。それは予想外の彩度だった。窓ガラスがなくなっただけであんなにくっきり見えるなんて、そんなこと思ってもいなかった。窓から乗り出して手を伸ばしたら、背の低い私でも触れることができそうだった。

「気持ち良い風だね」

透き通った秋の風に吹かれて、私は思ったことを素直に口にした。

「何かが始まる予感がしませんか? まるで春みたいに」

私は頷いていた。そんな気はなかったのに。

いつの間にかオレンジの香りに包まれている。確かに何かが始まる予感が部屋中に漂っている。

やっぱり炭酸のせいなんだろう。私は息苦しさをおぼえて、私は大きく息をついた。
 気付かれないようにそっと。

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