ノートの切れ端


スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 加速度
もくじ  3kaku_s_L.png 短編集
FC2 Blog Ranking      にほんブログ村 小説ブログへにほんブログ村
  ↑記事冒頭へ  
←4.3 - ファンタオレンジと秋の空(3)    →5.2 - アンリ・シャルパンティエのクレープシュゼット(2)
*Edit TB(-) | CO(-) 

加速度

5.1 - アンリ・シャルパンティエのクレープシュゼット(1)

朝起きてカーテンを開けたら雲ひとつない秋の空だった。暗闇に慣れきってしまった目には毒なくらいに眩しくて、思わず目を細めた。

テレビをつけてベーコンエッグを作っていたら、溶けたバターの匂いがあまりにも官能的で、家の中に引きこもっているのが勿体無く感じ始めた。外に出よう。晴れた土曜日には銀座を歩きたい。真っ白な磁器のお皿に盛った、近年稀にみる出来のぷるぷると黄色くジューシィなスクランブルエッグがすごくおいしそうだから多分昼ご飯は食べられないけれど、カフェで甘いものを食べるにはちょうどいいかもしれない。

銀座行きたい。暇?

と原田君の携帯にメールを送る。バターロールを軽くトーストしてお皿に載せる。最初の一口目にかじりついたところで携帯が光る。

なにも用事はないから大丈夫。

返信はすぐに帰ってくる。こんなふうに突然誘っても、前から決まってた予定がかぶらない限り、だいたい原田君は断らない。
 そうやって、私たちは基本的にデートの予定を前もって決めておくことはしない。会いたくなった時に会う。他のことがやりたければそっちを優先する。

スクランブルエッグをベーコンに載せて口にはこぶ。ミルクのふくよかな香りがふわっと広がる。ひとしきり味わった後に、もぐもぐと咀嚼しながらメールの返信をする。

うん。じゃあ1時間半後に有楽町に着く。

そうと決まったら支度をしないといけない。10分間くらいかけて朝ごはんをゆっくり食べたら、歯を磨いてからメイクを済ませる。

土日のメイクは、よっぽどのことがない限り、最近は基本メニューしかやらないことにしている。銀座歩いてたらメイクだって落ちちゃうし。たまには肌を休ませなきゃいけない。

明るめのパウダーのファンデーションをぱたぱたとつけたら、ダークブラウンのアイブロウペンシル。ここに時間と神経を一番使う。でもどんなに頑張っても上下左右のバランスがあんまりうまくいかない。たまにうまくいくとすごく気持ちいいけれど、そんなのは滅多にない。

きょうのはまあまあだ。

アイシャドウはシャンパンゴールドとゴールドの組み合わせが派手すぎなくて良い。塗り込んで馴染ませて。ペンシルはいつまで経っても怖いし痛い。そして最後にローズのグロスを塗って終わり。ここまででだいたい10分。何を着て行くかを考えるほうが難しい。特につるべ落としのこんな季節には。

会社に行くときは京浜急行を使うけれど、銀座に行くならばJRを使ったほうが早い。横浜駅まで出たら、東海道線で東京駅まで行ける。そうしたらあとはひと駅だ。時には雑誌を読みながら、時には電車に揺られて眠りながら、時にはスマートフォンでネットをゆるゆると見ながら。何かをしている間に、すぐに着いてしまう。今日は窓の外を見ていた。久しぶりの快晴だった。電車の中にいても、夏の間にまとわりついていた湿気が全部消え去って体が軽くなった感覚がわかる。
 川崎の市街地を抜けて多摩川を通り過ぎるあたりで、視界がぱっと開ける。夏の間あんなに勢いよく立っていた入道雲は今は見る影もない。海の向こう側のほうへ、うろこの切れ端みたいな雲がぽつぽつと続いているだけだ。遮るものが何もない。

秋の解放感はなんだかすごい。ひとりで生きていけそうな気さえする。

有楽町の中央口を出ると、原田君が立っている。Tシャツに薄手のパーカー。やはり秋は誰のもとにも均等に来ている。

「銀座も久しぶりだね。何買うの?」

原田君の問いに、私は正直に答える。

「特に買いたいものがあったわけじゃないんだ。天気がいいから外を歩きたかったの」

原田君は笑う。

「今日はあったかいし、家でゆっくりするのはちょっと勿体無いかもね」

歩行者天国になっている銀座通りは眩しいくらいに明るい。原田君と並んでぷらぷらと歩く。

「いっつも思うんだけど、こんなにお店ばっかりあって、一体誰が買うんだろう」

メインストリートに並ぶお店は、プラダやらティファニーやらカルチェやら、そういうものばかり。

「多分、数人のヘビーユーザーでお店を回してるんだろうね」

怖いからお店には入れないけれど、展示品をちらりと見るとものすごい値段だったりする。

「私たちのことなんて見てないに違いないのよね」

それよりは木村屋のあんぱんのおいしそうな匂いだとか、虎屋の店の前にディスプレイされているおだんごとかのほうに魅力を感じてしまう。ハイブランドが似合うような女には、まだなりたくない。

とは言うものの。いったいどんなブランドを着ればいいのか。私の買い物はいつも三越とかプランタンで済んでしまうから横目でちらちら見るけれども、結局いつも同じようなものばかり買ってしまう。ROPEとかストロベリーフィールズとか。いい年してそんなの着てていいのかって言われそうですごくやだ。一回、リエに勧められたマックスマーラで新作の試着をしてみたけれど、似合うとか似合わないを通り越して何かのコスプレにしか見えなかった。身長152センチに合う大人の女性の服なんてあるのか。

うんうん唸りながら銀座通りを端から端まで歩いた。いい天気だから、いつでも行けるようなデパートはあまり真剣に見ずに通り過ぎて、結局フランフランに落ち着いていた。

このクッション手触りいいな、などと思いながらふかふか触る。そろそろ新しいのを買っても良いのかなぁ、とも思ったけれど、自分の部屋の中にこのクッションを置いたところを想像してやはり違うと思いなおした。ちょっとクッションが大きすぎる。リビングにあるスペースの半分がクッションに占拠されてしまう。

さらに歩くと加湿器があった。これからの季節は加湿器もいいなぁ。しかもアロマディフューザー付き。マイナスイオンの気配にふらふら引き寄せられて香りをかぐ。

どきりとした。オレンジの香りの加湿機だった。

きっとファンタオレンジよりもずっといい香料なのだ。しゅわしゅわとミストが弾けて、私の周りの半径2・3メートルだけをオレンジの香りで染め上げて行く。小さな円の中にいるようだと思った。外の世界からやわらかく隔離された、その中だけで秩序立った世界に。

風が吹いた。オレンジの香りをふわりと散らして、私はその世界から連れ出される。そっと手を引くように。

「いい香りだね。夏みたいだ」さっきまで食器コーナーでカップを見ていた原田君が、いつの間にか私の隣にいた。「シチリアのブラッドオレンジの香り」

「……え。」突然外に連れ出された私はうまく声が出せずに、けほけほと咳き込んでしまった。「オレンジだってことは分かったけど、そんなことまで分かるの?」

「この濃密さはブラッドオレンジにしか出せないよ。それにリラックス効果もすごい。寝る前にこのディフューザーを使えば、睡眠の効果が3割はアップするんだよ」

「そうなんだ。すごい。」やはり原田君はすごい。感心する。私の知らないことをたくさん知っていて、私には到底追いつけそうもない。

「……って、ここに書いてある」

原田君は私の頭上を指さした。それに従って視線を上げると、

ブラッドオレンジ香料 通常のオレンジに比べて濃厚で穏やかな香りです。リラックスしたい時にぜひ!

と書かれたポップが貼ってあった。「睡眠の効果が3割アップすると言われています」とも。

「……騙された」

「もっと世界を見渡さないと」

152センチには生きにくい世の中なのね」

香料のサンプルをくるくると指で回してみる。とろとろした液体がビンの中で跳ねる。メイドインイタリーのオレンジ香料は、わずか5ミリリットルで世界を変えてしまう。

「でも確かに夏みたいな香り。まるでイタリアの、宿命づけられた終わらない夏」シチリアの海を思い描く。青くて、熱くて、広い海を。

「イタリアにも四季はあるよ。普通に夏が終わって秋が来るんだ」原田君は隣のラベンダー香料を手に取って眺めている。

「えっ、そうなの?」

「うん。雪だって降るよ。」

「――知らなかった」

もしイタリアの夏にも終わりが来るのだとしたら。その後はいったいどうなるのだろう。日本の夏と同じように、周りを囲む海風の湿度は、まるで最初からなかったみたいに消えてしまうのだろうか。

俄かにオレンジの香りが強くなる。ミストを吸い込んでいるはずなのにのどが渇いて仕方がない。

「まぁしかし。加湿器っていいよね。これからの季節にはないと困るでしょ」

原田君の言うことは正しい。こたつもストーブもなく、エアコンだけで温度調節をしている私の部屋は、冬にはすぐ乾燥しきってしまう。

「やっぱりあったほうがいいのかなぁ」

「いいと思うよ。あの部屋って、冬場になると干してたはずの濡れタオルがいつの間にかカラカラになってる」

原田君は穏やかに笑った。

確かに今でもそうだ。私の部屋は冬には信じられないくらいに乾いている。

でも、と思う。原田君が最後に私の部屋に来たのっていつだったっけ。いつの話をしているのだろう。情報はおおよそ合っているけど、最近はお風呂場に水をためたまま扉を開けて朝まで放置しているから、多少はマシになっているかもしれないのだ。それを見たことはあるんだっけ。
 今井さんに聞いて始めたその乾燥対策を、原田君に話したことはあったんだっけ?

オレンジの香りで覚醒しきって、熱に浮かされているのかもしれない。なんだか余計なことばかり考えてしまう。

私はふぅとため息をつく。「……そろそろお茶にしようか」

「そうだね。お茶の時間はちょっと過ぎちゃったかもしれないけど」

エスカレーターに乗って出口へと向かう。

銀座をぐるりと一周するウィンドウショッピングツアーに黙って着いてきても、原田君は疲れたの一言も言わない。だから私は何も言わない。何も言わなくても息が詰まらないと言えば聞こえはいいけれど、こういうときには原田君が何を考えているのか分からなくて、だから私は何を言えばいいのか分からない。ただそれだけのこと。

言葉は、繋がりそのものなのだと思う。言葉をかけることは、対岸に橋を架けること。私たちはそれを通ることでしか相手の所へ行けない。それを架けた先にしか行くことができない。

何も言わなくても息が詰まらないということは、何も伝わらなくても息が詰まらないということ。それを以って「相手の全部を知ってるから」って悦に入ることは簡単だけど、そんな安っぽい思い込みに浸れるほどの余裕は私にはない。そもそも私は原田君がこの銀座横断ツアーで何を見ていたのか知らない。

別に全部を知る必要はないんだ。

ただ、ひとつだけ教えてほしい。
 それが分からないから、私にはあなたが見えなくなる。それはつまり、未来が見えなくなるのと同じこと。

原田君のうしろ姿を見ながらエスカレーターを降りる。答えが転がってないか探すみたいに。

外に出ると、雲がいつの間にか空を覆って、太陽が見えなくなっていた。そうでなくても陽が傾き始める時間で、空気は熱を失い始めている。

「ちょっと冷えてきたね」振り返った原田君が言った。

「そうだね」冷え症の私は、指先から急速に冷えていくのを感じる。「あったかい紅茶が飲みたい」

同じく冷え症であるはずの原田君も頷く。「せっかくだから、食べるものもあったかいやつにしようよ」

「あったかいものねぇ。何がいいかな」

「焼き立てのスフレとかホットケーキもいいし、フォンダンショコラでもいい。」

確かにそれは魅力的なお菓子だけど。さっきまでのオレンジの香りがどうしても私を放してくれそうになかった。だったらもう、オレンジの海に浸るくらいの思い切りが必要なのかもしれない。それで世界が変わるならば。

私は言う。「だったら、あれがいいな。クレープシュゼット」

「クレープシュゼット」原田君は言葉の感触を確かめるように呟いた。「いいねクレープシュゼット。あの中にいたら、確かにオレンジが食べたくなるかもしれない」

笑った原田君と、笑うことができない私。

クレープシュゼットを食べるため、二人でアンリシャルパンティエに向かう。


関連記事
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 加速度
もくじ  3kaku_s_L.png 短編集
FC2 Blog Ranking      にほんブログ村 小説ブログへにほんブログ村
  ↑記事冒頭へ  
←4.3 - ファンタオレンジと秋の空(3)    →5.2 - アンリ・シャルパンティエのクレープシュゼット(2)
*Edit TB(0) | CO(0)
ジャンル:[小説・文学] テーマ:[オリジナル小説

~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


  ↑記事冒頭へ  
←4.3 - ファンタオレンジと秋の空(3)    →5.2 - アンリ・シャルパンティエのクレープシュゼット(2)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。