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6.1 - じゃがりこと金木犀のある帰り道(1)

その日は朝からよく晴れていて、オフィスの窓の外には久しぶりの入道雲がもくもくと顔を覗かせていた。

昼ご飯を食べた直後のオフィスはちょうど眠気も太陽も上りきっていて、まともに仕事ができるような状況ではなかった。

「暑いな、異常に暑い」今井さんは作業着のボタンを3つ目まで外して青い扇子でぱたぱたとやっていた。

「もっと冷房効かないんですか、こんなんじゃパソコンだって暑くて、うだって動けなくなりますって」皆川くんはスティッチ型の団扇で煽いでいる。

「暑いのにフリーズか……」今井さんが言うと、

「人間は、自然法則をそうやっていとも簡単に捻じ曲げてしまうんですね。パソコンの不自然さも極まれりですね」皆川くんが返す。

「皆川くん何その団扇、すっごいかわいいんだけど」リエが団扇を指さす。

「これですか? さっき食堂で保険屋のおばちゃんにもらったんですよ。若いんだから早く保険に入りなさいって。生命保険。なんなら自動車保険でもいいからってずっと言われてて。」

「私は全然勧誘されないんですけど」リエはぷくっと頬を膨らませる。「若いんだから保険に入りなさいってまた言われてみーたーいー」

「昔何度も勧誘されてたけど、全然入らなかったじゃない。」私が言うと、

「それとこれとは話が別じゃないの。勧誘されただけで勝ちなのよ。私の勝ち。」

「俺は、そろそろがん保険に入らないとヤバいんじゃないかってよく言われるぞ」今井さんは胸を張る。「3大疾病保障、入院保障、生活習慣病特約付きのなんかすっごいやつ」

「それはいらないです」リエの言葉に私も深く頷く。

「でも、そんな団扇もらえなかったけどなぁ。」今井さんはスティッチ型の団扇をうらやましそうに見つめる。

「今井さんうらやましいんですか。意外にファンシーなんですね。」リエは微笑む。

「んなわけないだろ。この扇子だと煽ぎにくいんだよ。小さすぎる」

「ミニーとプーさんもありましたけど」と追い打ちを掛ける皆川くんの言葉に、

「どっちもいらん」と今井さんは言う。「そうやって保険屋から良い顔をされるのも若いうちだけなんだよ。いいからとりあえず入っとけ。生命保険でも自動車保険でも特約付きまくりのがん保険でも何でもいいから」

「車も免許もお金もないです、残念ながら」皆川くんは笑う。

「免許もないんだ。大学の時に取らなかったの?」リエが聞く。

「取ろうとも思いませんでしたよ。だって横須賀から出たことないし。大学もすぐそこだったから、もう電車と徒歩だけですべてが済むんです。なんなら自転車と徒歩でも」

「へー。そうなんだ。車、あったほうが便利だと思うけどなー」

リエの言葉に、今井さんも頷く。

「うん。あったほうが便利だ。今日みたいな日に突然海に行きたくなったら、一瞬で行けるんだぞ。もちろん俺も連れて行ける」

「それって」皆川くんが言う。

「おぉ」

「今井さんが海に行きたいだけですよね」

「もちろん」今井さんは自信を持ったように強く頷く。

「僕も行きたいです」皆川くんはぐでっと机に横たわる。「なんだこの暑さ」

「今の時期に行ってもクラゲだらけですよ」私は指摘する。この時期のクラゲの多さはよく知っている。「量だけじゃなくて、強さも相当ですよ。茶色くて、足が長くて、多分刺されるとびりびりするやつ」

「海には別に泳ぎに行くわけじゃない」今井さんは人差し指をびしっと立てて言う。

「じゃあ何をしに行くんですか」

「フリスビーとかすいか割りとかを大勢でやるんだよ。ただし女の子がいないと成り立たない。なんならビーチバレーでもいい」行くか?と今井さんが笑う。

「あんまり焼けたくないから……帽子と長袖で完全防備したいなぁ。となるとビーチバレーはちょっと」私はやんわりと断る。

「川村さん、それは違う」今井さんは立てたままの人差し指でこちらを指す。「海では水着になるのが掟なんだ」

「――誰が得するんですか」

「俺は得すると思うけど。なぁ皆川」

「うん。まぁ確かに。得します」

そうなのか。あまり深く考えないほうがいい気がする。

「でも本当に千佳子さん肌白いもんねぇ。私も白いってよく言われてたけどさ。千佳子さんの場合は白いを通り越して、透き通ってる」

リエは席を立って私の隣まで歩いてくると、腕をぴたりとくっつけてくる。

「やっぱり細いし白いし。私もこれくらいが良かったなぁ」

こうやって並べて見ると違いはよく分かる。ずっとバスケで鍛えられてきたしなやかな腕と、ただ貧相なだけの腕の違い。透き通っていると言えば聞こえは良いけれど、血管までが透けて見えそうなのはいくらなんでも美しくない。焼けたくないのは、ただ単純に真っ赤に腫れて痛くなるのがイヤだから。どうせ痛くなるだけで23日もすれば元の色に戻ってしまう。

「ねぇ。やっぱり白いほうがきれいだよね。」

リエは私の腕を掴んで皆川くんのほうに差しだす。痛い痛い、と私は抗議する。

「僕は肌が白いほうが好みですよ」というさらりとした皆川くんの言葉を、捕まれたままの腕を見ながら聞く。

「そう……ありがとう」解放された右腕は少し赤くなってしまっている。あまり強く掴むから、少し熱を持っている気がする。

ふっと沈黙が下りたそのときに、内線電話が鳴った。皆川くんの席だった。

一回咳払いをして、「はい、営業課です」と立ち上がった皆川くんが電話の向こうに話す。「はい――え、またですか。しょうがないなぁ。分かりました。行きます。」

受話器を置いた皆川くんに、今井さんが聞く。

「また現場からの呼び出し?」

「はい。なんかもうあの人たち、僕の異動先をメンテナンス係かなんかと勘違いしてるみたいな気がする」

皆川くんは笑う。綿の手袋をはめて、帽子をかぶる。「じゃあ行ってきますね」

「お土産よろしくー」リエが手を振る。

「壊れた炉の部品ならあげられますけど」皆川くんは答える。「プラスチックとか金属がごちゃごちゃについてるから、捨てる時に分別しづらいですよ」

「じゃあいらなーい」リエは笑う。

皆川くんはクククと笑って行ってしまった。ドアを開けて、目の前の階段を駆け足で上っていく。

鉄の重い扉が閉まる、がちゃんと言う音が響く。私はふうと息をつく。そろそろちゃんと仕事しないと。いかに終わりかけてて楽な仕事とは言っても、やらなければ終わらない。よし、と気合を入れてパソコンのスクリーンセーバーを解除しようとしたところで、

「川村さん、ちょっといい?」

窓側のほうから名前を呼ばれた。機先を制されてがくっとしながら、窓のほうを見て自分を呼んだ主を探すとすぐに見つかる。窓のそばで私を手招きしているのは課長だった。

なんで呼ばれたんだろう。だいたいこういうときってあんまりいいことじゃない。お昼休みが終わったばっかりなのにうるさくしすぎたかな。でもそれだったら私よりも今井さんのほうが声は大きいし口数は多いしがん保険は特約付きだし、圧倒的に向こうのほうがダメだと思う。でもがん保険にはまだ入ってないんだっけ。

背筋をできるだけ伸ばして、歩幅を大きくして課長のほうへ向かう。普通に歩いていると『姿勢が悪いとやる気ないように見られるから』とか『のろのろ歩くな』とか言ってくる人だから。背が小さいのも歩幅が狭いのも、ずっと昔からで直しようがないのに。

「……はい」

課長の前に着くと、「あっちへ行きましょう」と、窓際のミーティングスペースを示しててくてくと歩いていく。

その後ろ姿を見ながら、何かすごくいやな予感がしていた。だいたいこういうときには何かあるものなのだ。あの飲み会の時のことも引っ掛かっていた。セクハラ未遂事件もそうだったけれど、その前の「新しい仕事を任せる」という言葉。

課長の正面の席に座ると、課長は脇に持っていたパンフレットを取りだした。

「これ知ってる?」

「――えーと」YFS625、とか書いてある。明らかにうちのカタログだけど、こんなの見たこともない。

「これは、うちの新製品です。久しぶりの大型新製品」

知らないの?とでも問うような目で見てくるけれど、知らない。見たこともなかった。

「これの担当、川村さんがやることになりましたので。」

「……担当と申しますと」

「もちろん全部です。量産化と商品化の確認、各事業所の納期取りまとめ、生産管理」

「――えーと」なんで私が、と言いかけてやめた。もう決まったことは覆らないから、無駄に心証を悪くしても良いことはない。

「ん? 何かある?」

同じようなことを今井さんもリエも以前やっていたけれど、とにかく大変そうなのだけは伝わってきた。最初の3か月くらいは残業続きでとにかく忙しそうなリエを横目に見ながら、大変だねぇと声をかけるくらいしかできなかった。

「……いえ。ただ、今やってる別の製品関係の仕事がまだ終わってないので、そちらだけに注力はできないと思うのですが……」

「それは別の人に引き継ぐから。しばらくはこの製品だけのことを考えてくれればいいです」

「……分かりました。」

いつかは来ると思いながらも、ずっと避け続けてこられた仕事だった。自分が中心になって動かないといけない。今までとはきっと段違いの量の、未知の仕事。

「では、これからのスケジュールの話をします」

膨大な量の資料を見る。これを全部引き受けないといけないのか。なんで私なのだろうか。

窓の外をブラインド越しに眺める。入道雲は変わらず大きくそこにある。自由でいいなぁと思う。これからの仕事に思いをはせる。考えたくなくても思考はそちらに流される。

背中が重い。大きすぎる荷物を背負わされたからだ。だからちょっとくらい姿勢が悪くても許してよ。


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ジャンル:[小説・文学] テーマ:[オリジナル小説

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#1[2012/11/29 14:02]     














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