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6.2 - じゃがりこと金木犀のある帰り道(2)

長引いた課長の話にぐったりとしながらロッカールームを出る。ちょうど定時の17時を回った辺りだったので、いろいろやることは残っているけれど、もう今日は帰ることにする。

後ろ手にドアを閉めて前に向き直ると、ちょうど男性用ロッカーから出てくる皆川くんとばったり会った。目の前で突然ドアが開いて見知った人が出てきたものだから驚いてしまって、心臓がびくっと跳ね上がった。

「……あー。びっくりした。お疲れ様」

「お疲れ様です」向こうも驚いた顔をしている。

「今日は早いのね」

「またずっと炉の点検してたから。なんか疲れちゃいました」皆川くんは頭をぽりぽり掻きながら笑った。

二人で並んで下駄箱から靴を取り出す。会社に入ったときに空いてるところを勝手に自分の下駄箱にしてしまうシステムで、もう十年近く使い続けている場所だけど、二人の下駄箱がすごく近かったことに驚いた。

「川村さんは駅のほうですか?」という皆川くんの言葉に、

私は、「うん。駅から電車」と答えた。

「じゃあ、駅まで一緒に帰ってもいいですか?」そう言った皆川くんは靴ひもを固く結んでいる途中で、私はそれを立ったまま眺める。

「うん」

「そうですか、良かった」靴ひもを結ぶ体勢のまま、上目づかいに笑う皆川くんと目が合う。

私はガラス張りの玄関の外に薄く残った夕日に目をやる。とても眩しい。

靴ひもを結び終わった皆川くんが、ゆっくりと玄関のドアを開ける。朝とは明らかに空気の匂いが変わっていた。

「きんもくせいですねー。」

皆川くんの言葉に私は頷く。世界は甘く黄色く弛緩していた。

「どこかにあるんでしょうかね。やたら匂いが濃いです」

皆川くんは私の3歩先に出て、あちらこちらの空気を嗅ぎ比べている。地面だったり、海のほうだったり、工場の敷地の遥か向こうにある空だったり。それはまるで踊っているみたいだった。

重い荷物みたいに肩に乗っかっている未知の新しい仕事にうんうん唸っている私とはまるで違う、その軽やかさ。

「きんもくせい、匂いはするけど見たことないよ。毎年、気にしながら帰るんだけど。見えたことない」

ちょっと待っててください、と不意に皆川くんは言い残し、ポケットから鍵を出す。そしてなんと自転車を取って戻ってきた。私の隣に並ぶ。

「え? 皆川くんって自転車なの?」

「はい。さっきも言ったじゃないですか。横須賀から出たことがないから徒歩と自転車だけで事足りるって。」

「でもさ……自転車で通勤してる人って初めて見ちゃった」思わず笑ってしまう。ギアがいっぱいついた銀色のマウンテンバイクは、皆川くんに何かすごくよく似合っていた。これで流線形のヘルメットをつければどこまでだって走って行っちゃいそう。

「エコなんですよ。だから最近は多いってよく聞きますよ。そしてどこを走っても早い。何より、会社暮らしで陥りがちな運動不足も解消できる。」

笑いながら皆川くんは答える。きらりと夕日のオレンジを反射する銀色のフレーム。

「運動不足……ろくに運動してない、体力もないわたしへの当てつけなのかな」

私の呟きに、いやいやまさか、と皆川くんは言う。「いいじゃないですかそれくらいで。川村さんはそれくらい細いのが魅力なんですよ。似合ってると思う」

その言葉は宙に浮く。なんと返したらよいのか一瞬分からなくなる。とりあえず何でもいいから口を開こうとした私よりも先に、皆川くんのほうが次の言葉を紡ぐ。

「あった、あそこ」

「……え」

いつの間にか一歩分だけ前に行った皆川くんが、ほら、と指さした先を見る。うまく言葉が飲み込めないままに。

皆川くんが指さしたのは、出口とか守衛室があるほうだった。

「うーん。よく分からない」

近づけば分かります、と言いながら皆川くんは正門のほうに向かう。私は遅れて着いていく。

守衛室の陰になっていて気付かなかったけれど、そこには一本の木があった。

皆川くんはその横に立って、葉っぱをぷらぷらと引っ張っている。

「きんもくせいの木ですよ」

深い緑色の硬そうな葉っぱに隠れるようにして、クリーム色の小さい花はひっそりと咲いていた。

甘い濃霧みたいな香りはいよいよ濃く深くたちこめて、私は何も見えなくなりそうになる。こんなに小さな花なのに、なんでこんなにも強いのだろう。心をつかまれたというよりも、ひたひたに浸かった心に染み込み切って、構成物質の一つになってしまったような。世界が変わってしまったように思えた。

「こんなところにあったなんて、知らなかった」

皆川くんの手の中のきんもくせいを見つめる。今はまだクリーム色だけど、どんどん黄色く大きくなっていくことを私は知っている。振り返れば空の色までもがきんもくせいみたいだった。

「こんな陰でも、大きく育つものなんですね」

確かに、ちゃんと光が当たっているのかさえもよく分からない。それでも、こんなところで密やかに、強く大きくなっていく。

けほけほと咳が出そうになる。

むせ返るような濃密な香りに追い立てられるように、私たちは正門を出る。

県立高校のグラウンド沿いに歩いていき、横須賀スタジアムを抜ける。プロ野球の2軍戦がある日には人でごった返すこともあるけれど、今日は静かだ。さらに歩いて、川を横目に図書館を通り過ぎる。この時になってもきんもくせいの香りは強くなったり弱くなったりしながら、まだずっと続いていた。自転車のチェーンが回るからからから、という音と一緒に、通奏低音みたいだった。

「きんもくせいってすごいよね。世界が変わったみたい」

私が言うと、皆川くんも頷く。

「僕もそう思いますよ。きんもくせいは世界を変えちゃう」そしてしばらく考えてから付け加える。「言葉にすると同じだけど。でも多分、川村さんと僕の考えてることはちょっと違うと思うんです」

「違うの? だって、同じ帰り道なのに全然違っちゃってる。朝の道とさえ違う」

私には皆川くんの言っていることがよく分からなかった。

「昔、ちょうど今くらいの時期に、予言みたいなことをした人がいたんです」やはり皆川くんの返答は良く分からない。

「予言? どんな?」

「今の僕にもできますよ。」皆川くんは歩いたまま、私の頭上にある空を見上げた。「多分、あと一週間もしないうちに雨が降るんです」

「雨? こんなに晴れてるのに?」思わず真上の空を見上げてしまう。

「はい。で、降ったらその次の日からはもう季節が変わってるんです」

空は輝きを保ったまま、ひっそりと夜へ向かっている。太陽だってそうだ。きんもくせいと同じで、どこにあるか見えなくったって世界を変えていた。見上げてみた空はうろこ雲のかけらをいくつか浮かべているだけで、夜に向かっているのにこんなにも穏やかで暖かい。

「こうして歩いている間にも、きんもくせいは少しずつ大きくなる。世界は少しずつ進む。上に向かって伸びるみたいに」

そんな皆川くんの言葉を漫然と聞きながら、川が流れる真横を歩く。言うとおりに少しずつきんもくせいの香りが大きくなっているように感じるのは、広い川幅の隣だから風が直接吹き抜けているせいなのかもしれない。

「こんなに晴れてて、暖かいから。だからきんもくせいがどんどん育ってるんだよきっと。雲は欠片しか見えない。雨なんて降らないと思うけど」

私の言葉に、皆川くんはちょっと考え込むような仕種を見せた。左手でハンドルを押しながら右手の人差し指でぽりぽりと眉間を掻く。反対側の歩道を小学生たちが駆け抜けていく。

そして皆川くんは言った。「じゃあ、賭けましょうよ」

「賭けるの? 雨が降るか降らないかで?」

「はい。」皆川くんは数メートル先の地面を見たまま、地面に向かって言い聞かせるように言う。「負けたほうが勝ったほうにジュースをおごるんですよ。雨が降ったら僕は川村さんにジュースをおごってもらうし、降らなかったら僕がおごります」

どうですか? と皆川くんは呟く。

「いいよ。それくらいならいい」多分それくらいなら。

「本当ですかやった。今から飲むジュース考えとこうかな」前方の地面を睨みつけながら、皆川くんはふふふと笑った。怪しげな天気予報にそんなに自信があるのだろうか。

そんな話をしている間に、私たちは商店街のアーケードの中に入る。八百屋や電気屋なんかがあって賑わっている。車が通る音、買い物客の話し声、店の呼び込みの声。

あまり広い道ではないので、私は皆川くんの後ろに並んで歩くかたちになった。

緑色のウインドブレーカーが時折風にはためく。私があげたチョコチップクッキーはあの中に入っているのだろうか。

不思議なものだった。ちょっと前までほとんど繋がりのなかった人と、今は同じスピードで歩いている。同じ距離を感じながら歩いている。

前を行く自転車はからからと回り続ける。私たちの距離感はきんもくせいと同じだった。知らない間に、いつの間にか世界は見慣れない景色を呈していた。

断続的なきんもくせいの香りに、いちいちはっとさせられる。こうやって不安定に変転しながら、きんもくせいはどこまで大きくなるのだろう?

考え込んでいたら突然前の自転車がぴたりと止まった。何事かと顔を上げると、思いがけず皆川くんの笑った顔と目が合って驚いた。どうしたの? と声を出すよりも先に、皆川くんの口が動いた。「コンビニ行きましょうコンビニ。こんなにいい日はお菓子買って食べたくなっちゃう」

そこはローソンの前だった。私が返事をするよりも早く、皆川くんはスタンドをがちゃんと下ろして鍵をかけた。手慣れた動作だった。

何か釈然としないものを感じながらも、皆川くんの笑顔と勢いに押されるようにしてコンビニに入る。いらっしゃいませーとレジの店員が元気な声を上げる。


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