ノートの切れ端


スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 加速度
もくじ  3kaku_s_L.png 短編集
FC2 Blog Ranking      にほんブログ村 小説ブログへにほんブログ村
  ↑記事冒頭へ  
←7.1 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ    →7.3 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ(3)
*Edit TB(-) | CO(-) 

加速度

7.2 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ(2)

明日、早稲田に行く用事があるんだけど、暇なら一緒に行かない?

というメールが原田君から入ったのは金曜日の夜だった。お風呂からあがって出てきたら携帯にメールが入っていたのだ。なんだか随分急な誘いだな、と思ったけれど、特に用事もないし、

いいよ。行く。

と返事をした。

大人数で集まったりするときに大学の近くの駅を利用することはたまにあるけれど、大学構内なんてもう何年も行っていない。それどころか、卒業してから2・3回しか行った記憶がない。学祭を見に行くためだったけれど、知り合いが軒並み卒業して行ってからはそれもなくなってしまった。

早稲田駅に着いたのは1時を少し過ぎた辺りだった。東西線の狭い階段を、原田君の後ろに着いて上っていく。

「だいぶ雲が多くなってきたね」

朝は青空に雲の切れ端が一つ二つと浮かんでいたくらいだったのに、今は薄い雲の隙間に青空がちらちらと見える程度になっていた。

とはいうものの、地下鉄の中をずっと通って来た目には刺激が強すぎる。私は手で日光を遮る。「でも、まだまだ眩しい」

地下鉄を抜けて、南門通りのほうへ抜けたらあとは正門へ一直線で辿り着ける。あまり使ったことはないけれど、賑わっている商店街。

「見たことない店がある。」原田君に右手を指し示されてみると、見たことがないこぎれいなカフェがあった。

「確かにこんなきれいな店、なかったなぁ。――もとは何だったっけ」景色が変わってしまったことは分かるけれど、それがもともと何だったのかは今となっては分からない。

「定食屋じゃなかった?」

「旅行会社だったような……」

私たちが大学に通っていた頃の店は、ほとんどそのままそこにあった。だからこそ、ところどころにできている見慣れない店が異質で、知っているはずなのに知らない街という胸をつつく違和感が大きかった。

「そこの店は今も閉まったままなんだね。」原田君は右手の洋食屋を見た。「ここのメンチカツ、一回は食べたかったんだけど。」

看板も暖簾も店の中にずっと入りっぱなしで、明らかに埃がたまっている。入り口の窓に至ってはヒビまで入っている。何年も前につぶれた店だって言われたらそれはそれで納得してしまいそうだけど、私が知っている頃からここはずっとこんな感じの現役の店だった。

「リエはゼミの友達と何回か行ったって言ってたよ。2限が終わった直後が狙い目なんだって。そのために少しだけ早く授業を抜けるって」

「何回も行ったんだ。いいなぁ」

「ナイフを入れた瞬間に出てくる肉汁が勿体無くて、手づかみでかじり付きたくなったって言ってた」そんな姿は想像できないけれど。「多分、それだけおいしいんだろうね」

「本当に、いいなぁ」

話 しながら私たちは空を見ている。125尺の高さがあると言われている大隈講堂の、さらにその先にある空を。半分以上は雲に隠れて、あまり美しくはないけれど。おいしいと評判の洋食屋も、周りに溶け込まない小奇麗で見たことのないカフェも、それと意識することなくいつの間にか通り過ぎている。振り返ることも なく。

正門を抜けて、正面の大隈重信像に向かってずっと続いている真っ直ぐな道を歩く。

「もうすぐ早稲田祭なんだね」

道の両端にはびっしりと立て看板が並べられている。サークルだとかゼミだとかの、早稲田祭でのイベントの告知。片隅では早稲田祭のはっぴを着た学生が数人、板をのこぎりで切ったり釘をがんがんと打ちつけたりしていた。会場の設営だろうか。

「なんか、この中を歩いているだけで早稲田祭に参加してるような気分になるね」

一歩前を歩く原田君の足取りは軽い。

立て看板を持って運ぶ集団とすれ違う。忙しそうだけど、どの顔も表情は明るい。

「お祭りは、準備しているときが一番楽しいんだよね。」私は自分が参加していた頃のことを思い出す。会場設営で遅くなった帰り、すっかり暗くなった街に漂う、お祭り前の高揚感。みんな遅くなるまで準備を楽しんでいた。

「当日は実務が忙しすぎて、お祭りそのものを楽しむ余裕なんてなかったしね」原田君も笑って頷く。「僕は、夏休みくらいにみんなで企画をあーだこーだ考えてる時がいちばん楽しかったな。想像の中では何でもできた。」

「まだまだ時間があると思ってたら、どんどん迫ってきて余裕無くなっちゃうからねぇ」

お祭りの空気を視界の端に捕らえ始めたときにはまだまだそれは遠くて小さい。でも、遠近感を掴むのが苦手な私は、少しずつ近づいてくるそれとの距離をうまく 測れない。とうとう近づくたびに一足飛びに大きさを増していくそれを認識した時には、もうほとんど通り過ぎようとしている。4年間、ずっとそうだった。

そのままキャンパスの建物群を横に突っ切るようにして、私たちは大学の図書館に到着する。門の前には大きなきんもくせいが植わっていて、いつの間にか濃密になっていた雨の気配の中で、その隙間を埋めるように甘い匂いをさせている。

「大学に用事って、図書館だったの?」

「うん。必要な本がここにしかなかったから。」原田君は玄関へと続く階段をゆっくり登っていく。「自分では本が借りられないから、知り合いに頼んで借りてもらうことにして、それを受け取りに来たんだ」

卒業生は図書館に入ることができるけれど、本を借りることはできない。玄関を通り、そのまま入館ゲートを抜ける。

「まだ大学に知り合いなんているのね。」

「ロースクールの後輩だったんだけど、今は大学で助教をやってる」

「ふーん。私がいると邪魔?」

そう私が聞くと、原田君はわずかに目をそらした。「邪魔ではないけど……」

誰かに会いに来る用事なら、ひとこと言ってくれてもよかったのに。

「別にいいよ。久しぶりでちょっと懐かしいから。その辺で何か本を探して読んでる」

「そう? じゃあ、すぐに戻るよ」

言い残して原田君は下へと続く階段を下りていく。私は取り残されてその背中を見送る。

大学に知り合いがまだ残ってるなんて便利なものね。私は思う。どうせここで借りないと読めない資料なんか、今の私は必要としていないけど。

もやもやとわき出る思考に突き動かされるように、図書館の中を歩き回る。
レポートの時期が来るたびにお世話になった図書館だけど、あまり細部まで覚えているわけではない。本棚や机の配置は、多分10年前もこんな感じだったな、という程度の記憶しかないけれど、この図書館の空気は昔からあまり変わっていないと 思う。一体誰が読むのか分からない分厚い専門書と、それらが棚の中にひしめきながら醸し出しているアカデミックな雰囲気、ある種の圧迫感。そしてそこに馴染めずに、なるべく読みやすく写しやすいレポート用の参考図書を見つけ出して逃げたがっている大多数の学生。もちろん私だって大多数側だ。

言語学概論、音韻論、構造主義。分厚く私を威嚇するような本から逃れるように奥へと進んでいく。そういう本は、レポートのネタになりこそすれ、好き好んで読みたい本ではない。授業でやったにしても、内容だってもう覚えていない。文学の棚なんてほとんどそんなんばっかりだけど、端っこのほうには忘れられた昼の残滓みたいに詩集とか文学全集が置かれている。その中に懐かしい名前を見つけた。

銀河鉄道の夜。宮沢賢治の本だ。

昔、 取った授業の講師が宮沢賢治の大ファンだったことがあった。授業の中で「銀河鉄道の夜」を読んで評論と感想をレポートしなさい、というお題があったのだけど、私にはまったく意味が分からなかった。リンゴと炎ばかりがクローズアップされていて、とにかくタルトタタンが食べたくなるお話だという印象しかなかっ た。

結局、レポートのほとんどを原田君に書いてもらったのだけど。あのレポートはどういう内容だったのだろう? 今となっては思い出せないけれど。確かあの時のレポートのお礼は喫茶店のタルトタタンだったはず。
 今こそそれを返してもらう時ではないのか。息がつまりそうな大学の図書館でひとりで待たされているんだか ら。

手持ち無沙汰に銀河鉄道の夜を手にとってぱらぱらと読み始める。ミルキーウェイの話に始まって、牛乳を買って帰る。濃厚なバターが作れる。そして甘そうな角砂糖。これはタルトタタンが出てこなければ嘘だろう、と思う。

ジョバンニが草原に出て、やっと銀河鉄道が近づく音が聞こえてきたというところで、

「お待たせ」と原田君の声が聞こえた。

待たされたことに文句の一つでも言ってやろうかと振り返って口を開きかけたとき、原田君と一緒に女の人が一人立っているのが見えた。

慌てて言葉を飲み込んだのと、誰かほかの人がいるなんて予想していなかったのとで、私は口をぱくぱくさせていたと思う。とにかく原田君に誰これと問う視線を投げる。

「このひとは山下さん。法学部とロースクールの同期で、今は法学部で助教をやってる」原田君はまさに苦笑といった笑顔で言った。「本だけ借りようと思ってたんだけど、会って川村さんを見てみたいって言って着いて来ちゃった」

「初めまして。山下と言います。法学部で助教をやっております。」

そう言いながら、山下助教は私を全身、値踏みするかのように見回す。ひとつが気に入らないと、丁寧な言葉遣いも鼻につきはじめる。私の価値が分かるまでは扱いをどうするか保留しているといった態度。

背が高い。180センチある原田君にはさすがに及ばないけれど、履いているのがスニーカーなのに、いつも見るリエと同じくらいありそう。
 あるいは、すらっと細い全身を包む黒系のタイトな服装がそう見せているのかもしれない。膝丈のスカートから覗く細いふくらはぎも、黒のストッキングに包まれている。メイクは薄いけれど、ファンデーションの香りがふわっと漂っている。

「こちらこそ初めまして。川村千佳子です。会社員です。」

営業用の笑顔でできる限り微笑む。肩書きはあまりかっこよくないけれど、この際仕方ない。こんなことならば、メイクにもう少し気合を入れるか、最低限もう少し高いヒールの靴を履いてくれば良かった。

上から見下ろされるような目線に、期せずして私たちの視線はぶつかる。なんだか無性に腹が立った私は何か嫌みでも言ってやろうかと考えたけれど、それが言葉になる前に向こうが視線をそらした。

「原田くん、ありがとう。川村さんが見れてよかった。」

「あぁ、うん。こっちこそ助かったよ。返す時は返却ポストに返しちゃうから」

それじゃあさようなら、また。と、山下助教は主に私に対して手を振って、もと来た道を地下へと歩いていった。私たちはその背中を見送る。

いったい何だったのか。
 「――びっくりした。誰か連れてくるなら一言言ってくれれば」さっきからのもやもやした気分と驚きと。それを隠すこともしないで私は言う。隠す必要があるとさえ思わない。「なんだかずいぶんな美人さんだったけれど」

「やー……図書館で一日中調べものしてるって言うから、すぐに戻ってこようと思ったんだけど。知り合いと一緒に来たんだっていったら、『噂の川村さんでしょ、見たい』って言いだして聞かなかったんだよ」

「噂の、って」法学部には原田君以外の知り合いなんていない。「すごく釈然としないものを感じるんですけど。何か変な噂でも流してるの?」

「それは山下さんが勝手に言ってるだけだから。気にしないで」視線を未だ階段のほうに向けながら苦笑を浮かべる原田君は、なんだかいつもよりも余裕がないように見えたけれど。まぁいいよ。あんまり突っ込んでも面白い話にはならなそうだから。

原田君が右手に提げた紙袋を見る。チェック柄の、伊勢丹の紙袋。重そうな本が何冊も入っているのが見えた。

何にしてもあの人は、私のことを知っていた。噂の川村さん。それはつまり、原田君は私のことをあの人に言ってるっていうことなのだろう。と思う。どういう言い方なのかは知らないけれど。仕方がないから、今回はそれで許してあげることにしよう。あんまりぐちぐちと思っていても面白くない。

「じゃ、行こうよ。もう用事は終わったんでしょ?」

私は踵を返す。こんなところにいるから気詰まりになってしまうんだ。

「うん。行こう。」原田君は慌てたように着いてくる。入退場ゲートに足を踏み入れて、自動で開く、がこんという音がする。「でも、どこに行くの?」

「タルトタタンを返してもらうんだ。いつか、私があげたタルトタタン。あのときは私がおごったから、今日は原田君におごってもらう」

ガラスの扉越しに、うすうす分かってはいたけれど。扉を開くと、湿った風が吹きつけてきた。埃っぽい空気の匂い。
 金木犀の香りはどこかへ行ってしまった。多分もうすぐ雨が降る。


関連記事
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 加速度
もくじ  3kaku_s_L.png 短編集
FC2 Blog Ranking      にほんブログ村 小説ブログへにほんブログ村
  ↑記事冒頭へ  
←7.1 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ    →7.3 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ(3)
*Edit TB(0) | CO(0)
ジャンル:[小説・文学] テーマ:[オリジナル小説

~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


  ↑記事冒頭へ  
←7.1 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ    →7.3 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ(3)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。