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7.3 - タルトタタンとベイクドチーズケーキ(3)

「……ないね」

困ったなぁといった声で、原田君が呟く。

ショーウィンドウの中には、色とりどりの様々なケーキが並んでいた。オレンジのパウンドケーキ、タルトショコラ、パンプキンパイ、ベイクドチーズケーキ、いちごのムース。ただ、タルトタタンだけがなかった。

「すみません、タルトタタンって今日はないんですか?」

私はあきらめずに、脇に立っている店員のお姉さんに聞いてみる。マスターはドリンクを作りながら店の奥でどんどん焼いてくるから、今はなくても後から出てくることもけっこうある。

「申し訳ありません、本日分のタルトタタンはもう、2時間前に売り切れてしまいまして」

2時間前。ということは、私たちが早稲田に来たときには既にこの店にタルトタタンはなかったのだ。

「午前中で売り切れちゃったんだ。すごいなぁ」原田君は驚いている。

「バースデーケーキで注文したお客様が何組かいまして。いつもならあるんですけど、今日だけたまたま売れちゃったんです」

「そうかー。そいつは残念……どうしようか」

「いいんじゃない? 他のケーキもおいしそうだし」問いかける視線を送る原田君に私は言う。「タルトタタンはいつでもおごってもらえるんだから」

自分からすり寄るみたいで、あまりいい気分ではないけれど。でも原田君は安心したように笑う。

「じゃあ、この本を返しに来るときにでも」

原田君も私もベイクドチーズケーキとコーヒーを頼むことにする。ベイクドチーズケーキはこの店の看板メニューで、大学に通っていた頃は何か甘いものが食べたくなるたびにここに来て食べていた。

ここの店のケーキは一個がすごく大きいから、すぐにはなかなか食べきれない。だからコーヒーを飲みながらちびちび食べて、長居しやすいのがとても良かった。

「それにしても」注文し終わって席に着いた私は、原田君の右手にぶら下がった伊勢丹の袋を指す。「何の本を借りに来たの? なんかすごく重そうだけど」

「あー……これ」原田君は袋の中身をひとつずつ、大事そうに机の上に並べる。

「アメリカの特許法についての参考文献」

「……英語?」分厚い本の表紙には日本語が一切見当たらない。

「うん。英語だよ」

「ふーん。そうですか。会社に入ってまでも勉強なんて大変すぎる。私だったら断固拒否だよ」

「そうだね、こっちもできることなら避けたいけど」原田君は苦笑しながら袋の中身を全部出し終えた。タイトルさえ分からないものばっかりだったけれど、最後の本だけは私にも分かった。

「地球の歩き方?」それはアメリカの観光ガイドだった。昔海ヨーロッパ旅行に行ったときに持って行ったのと同じシリーズだ。

「別にいらないって言ったんだけどなぁ」原田君は苦笑しながらページをぱらぱらとめくっている。

「アメリカに行く予定でもあるの?」

「うん。出張でちょっと」

「出張で海外かぁ。いいなぁ。私なんて、丸の内くらいが限界だよ」

冗談めかして私は笑う。けれども予想に反して原田君は笑わなかった。

「一緒に行く?」とだけ言った。私の聞き間違いでなければ。本当にそう言ったのか分からないくらいに小さなつぶやきだった。

「え。どれくらい行くの?」

「まずは3週間」

「えー……いやいやいや。長すぎるでしょ、それは。年末年始の旅行ならともかく。会社あるし、出張に着いていっても多分すごく暇」

「まぁ確かにそうなんだけれども」

原田君はそれきり何も言わなかったので、その手から観光ガイドを取ってぱらぱらとめくる。アメリカにはあまり心を惹かれない。

ぼんやりと眺めているうち、コーヒーの香りがふわりと漂ってくる。

マスターが一杯ごとにドリップするコーヒーはとても香りがよくて、コーヒーがあまり好きではない私でさえもここに来るとコーヒーを頼みたくなってしまう。

それはなんだか、懐かしささえ感じる香りだった。波にたゆたうように、漂い始めた芳香にとっぷりと浸かる。

「昔はよくここに来たよね。」と、原田君は言う。「二人で来たり、みんなで来たり。甘いものが欲しかったら、とりあえずここに来ればなんとかなる気がしてた」

私は頷く。「全種類のケーキを制覇するんだって頑張ってたけど、来るたびに新メニューがあって挫折しちゃったんだよね。今日も、オレンジのパウンドケーキなんて初めて見た」

甘くて苦いコーヒーの芳香が店の中の時間の流れを減速させているようで、ここに来ていた頃は、ふと気が付いて窓の外を見るとすっかり暗くなっているというパターンがほとんどだった。

原田くん越しに見た窓の外が暗くて、今何時だろう、と携帯を取り出す。まだ3時を過ぎたばかりで夕方と呼ぶには早すぎる時間だった。

「なんか、ずいぶん暗くなってるね」

原田君は振り向いて窓を眺めながら言う。「もう、いつ降りだしてもおかしくないって感じだね」

雨が降る。

皆川くんのあの天気予報は、私の心の底にずっとわだかまり続けていた。忘れることができずにいた。

なんでだろう。

降りそうな雨に心臓がざわついている。

何かをしていないと落ち着かなくて、追い立てられるように携帯の画面をフリックする。何度か画面は行ったり来たりして、そして気付いた。メールが届いている。

「由紀からメールだ」

「野村さんから?」

問いかける原田君に私は頷く。「うん。半年ぶりくらいにメール来た。なんか久しぶりだなぁ」


 メールの文面はこうだった。

千佳ちゃんお久しぶり。多分原田君と一緒だと思うので二人あてにメールします。

私、結婚することにしました。二人の知らない人だけど、多分運命の人だと思います。

報告も兼ねて、一度二人と会いたいな。デートの邪魔だっていうならごめん。

でも、久しぶりに会いたいのです。


「結婚だって。全然そんな気配なかったのに」

最後に会ったときの様子を思い出そうとするけれど、特に変わったようには見えなかった。

「運命の人っていうのが野村さんっぽいなぁ。見つけられたんだ。よかったね。」

と原田君が言って、私も頷いた。

「本当に、見つけられたなら良かったなぁ」上の空でそう言いながら、私は思いもかけなかった結婚報告に驚いていた。

驚いていた? いや、たぶん違う。

「いいなぁ。会いたいな。どんな相手か、どんなふうにして運命を感じたのか、聞いてみたい」原田君は言う。

「うん。会いたいって後でメールしておく」

そのとき、失礼しまーすと声がかかり、ベイクドチーズケーキが運ばれてきた。私たちは会釈して受け取り、フォーク片手に食べ始める。

濃厚なクリームチーズのケーキだった。甘く暖かな重力に捕らえられて、動くことすら億劫になってくる春の真ん中のような味。目の前には広い世界が広がっていて、それを夢うつつに眺めているようだった。

それにおぼれることができるなら、とても楽。だけどチーズケーキがなくなるスピードで、それは消えてしまうのだ。食べるスピードが早いらしい私でなくても。

一緒に運ばれてきたコーヒーでその甘いぬかるみを流し去る。

「由紀はすごいと思う。もう若くないし、30を過ぎたら歩き始めるのだって大変だと思うの。間違った方向に行っちゃったらどうしようって。」原田君の瞳の中をじっと見つめる。「もちろん私にとっても」

「うん」原田くんはコーヒーをすすった。まるで意図的に目をそらすみたいに。

でも。何も考えずに話し始めてしまったけれど、私は何を原田君に伝えるべきなのだろう。

「昔、原田君にタルトタタンをおごってもらったときのこと、覚えてる?」

「宮沢賢治のレポートを手伝ったときだよね」

「あの時、原田君が頼んだケーキって何だっけ?」どうしてもそこだけが思い出せなかった。それが気になっていた。

「僕も頼んだのはタルトタタンだったよ」

ことも無げに答えた原田君の声に、私は思い出す。そして気づいたのだ。

あぁ。そうだった。私はまだ一回も、運命の人とするべきことをしたことがなかったのだ。

二人の前の、二個のベイクドチーズケーキを見つめる。欠け始めたふたつのチーズケーキ。

「由紀は運命の人を見つけることができた」

再び原田君の目を見る。私はもう逃げることはできない。

原田君もゆっくりと見つめ返してくる。「うん」

原田君はいつも私の隣にいた。隣にいて、いつも同じ場所を見つめていた。こうやってテーブルに向かい合った時もそう。同じベイクドチーズケーキを見ていた。

原田君と、お互いを見つめあったのは久しぶりだった。

「私にとって、原田君はどういう存在なの?」

ふわりと店の照明が揺れた。夜用照明のオレンジ球が光を灯したのだった。

室内が明るく照らし出されたことで、雨が降りはじめたのが見えた。原田君の向こうに見える窓に水滴が当たっているのが見える。

「それは」原田君は私のほうを見たまま、目線をそっと外した。「僕が決めることじゃないよ」

川村さんが決めることだと思う。原田君はそう言った。

「――そうだよね」そう言われることは分かっていた。けれど、それでも私は聞きたかったのだ。

「ただ、逆ならば言える」原田君は一息に、残りのコーヒーを飲み干した。「僕にとって川村さんは大事な人なんだ。無くしたくない」

それならば私だってそうだ。でも、だからこそ。

その答えは卑怯だと思う。

私はチーズケーキをもう一口食べる。

甘い。とても甘い。ずっとこうやっていられたならば、どんなにか楽だろう。


店の外に出ると、思ったよりも雨は強く降っていた。

準備が良すぎるくらいに良い私たちは、お互いに折り畳み傘を持ってきていた。

持ってきていないことにしてしまおうかと一瞬思ったけれど、原田君が大事そうに抱える本を見たら、とてもそんなことはできそうにない。

「じゃあ帰ろう」

すっかり暗くなってしまった早稲田通りを、ばさりと傘をさして歩き始める。

いくら折り畳み傘とは言っても、傘一つ分の距離はあまりにも大きい。狭い歩道を横に並ぶわけにもいかず、原田君の後ろ姿を見ながら歩く。雨粒の音がうるさくて、私たちの間にはまともに話すこともできない距離が横たわっている。

由紀のメールに私が感じたのは驚きではなかった。今ならばはっきりと自分を見つめることができる。

私が感じたのは焦りだ。

傘を持つ手を秋の風が吹き抜けていく。守るもののない手にとても冷たい。

だから雨は嫌いなのだ。


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