ノートの切れ端


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8.1 - チョコボールの銀のエンゼル(1)

 土曜日に降り始めた雨は、月曜日になってもやまなかった。朝方は随分弱まっていたから折り畳み傘で来てしまったけれど、窓の外では雨が強まったり弱まったりを繰り返していて、油断すると帰るまでにずぶ濡れになってしまいそうだった。

「また強くなって来ちゃったなぁ」

もう課長が帰ってしまった窓際で、ブラインドを上げて外の様子を伺っていたリエがため息をついた。すっかり外は暗くなってしまって、他の部署も含めてみんな早く帰ってしまった事務所の中は静まっている。天井の明りが煌々と眩しかった。

「弱まるのを待ってたらいつまで経っても帰れないよ。こういうときには『ここ』ってすぱっと決めてすぐに帰ったほうが濡れずに早く帰れる」

今井さんは机のノートパソコンをぱたりと閉じる。

「今井さんまで帰るつもりですか、私を置いて」

普段はもっと遅くまで残っているのに。ちらりと一瞥を向けると、「怖いなぁ川村さん」と笑った。

「笑い事じゃないです、みんな早く帰ってる珍しい日なのに、課長ですらもういないのに、私だけぜんっぜん終わる気配がないんですけど」

製品の初期在庫を送る営業所と代理店とアイテムごとの個数の管理。これを一から作り始めなければいけない上に、初期在庫の段階でいきなり欠品が出ていたりして、納期遅延の連絡とお詫びのメールと。一体なんでこんなことになっているのか。

「男には、やらなきゃいけない時ってものがあるんだぜ」と親指を立てた今井さんに、

「はい」と、もう突っ込むこともめんどくさくなって生返事をする。

「あ、ちょっと弱まりそうな気配」とリエが声を上げる。

「リエさんまで帰ってしまうのでしょうか」と、できる限りの悲痛な声をかけてみても、

「うん。帰るよー。濡れたくないし。まだまだ月曜日だし」リエは意に介さずに机に戻ってきて、パソコンをぱたりとやる。

「こんなに頑張ってもまだ月曜日……」思わず天を仰ぐ。蛍光灯がまぶしい。

「まぁ気を落とさないでよ。最大限、俺にできることは手伝うから」今井さんは私の席の傍らにあるゴミ箱を手にとって、事務所の端にある大きなゴミ入れにがさがさと中身を放り込む。「帰る間際のゴミ捨てが意外にめんどくさいんだよね。これで負担はずいぶん減ったはずだ」

「手伝えるんだったら、せめてアイテム納期表の更新だけでも……」

「――俺にできるのはここまでだ。未来は自分の手で掴み取りな」今井さんはゴミ箱をもとあった場所に返すと、私の言葉を遮るように再び親指をびしっと立てる。

「千佳子さん、私には何もすることはできないの。でも魂だけは置いていくわ。せめてこれを、あなたの力にしてほしい」リエは私の隣まで来ると、両手を胸の前で組んで、芝居がかった口調で諭すように語る。そしてチョコボールをひと箱置いていった。

「なんでキャラメル味……」

チョコボールといえばピーナッツではないのかという私の弱々しい抗議には聞く耳など持たず、

「じゃあ、お先にー。また明日」

と、二人は並んで去って行ってしまった。後には私と、唸り声を上げるエアコンだけが残される。――とにかくやるしかない。やらないと帰れない。

アメリカ、ドイツ、中国と、メールを読んでは注文をフォームに記入していく。
 中国からのメールはよく文字化けしているので怖い。
 その次はスペイン。営業のカルロスさんは陽気な人だ。陽気だしラテン。メールの冒頭がDear honey Chikako, long time no see, I miss you!!!となっている。とてもビジネスのメールだとは思えない。プライベートのアドレスに来たら一瞬でゴミ箱送りにすると思う。そもそもカルロスさん とは会ったこともない。
 まぁそんなことはどうでもいい。早く数字の羅列をExcelに写さなくてはいけない。スペインは……あれ。なぜかもう数字が入って いる。でも確かに入れた覚えがある。カルロスさんが間違って注文メールを2通送っちゃったのだろうか。メールを過去にさかのぼって行く。確かにここにカルロスさんの名前が……とおもってよくよく見てみたら、フランス人のシャルルさんからのメールだった。冒頭がI love you Chikako! だったから見分けがつかなかった。というか、あっちの人はみんなこういうノリなのだろうか。紛らわしいことこの上ない。

一旦つまづくと、気分を取り戻すまでに時間がかかる。力が抜けてしまって、ふぅと息をつく。右手でマウスを操作しながらフリーな左手で無意識に触って動かし ていた、リエの残していったチョコボールの箱が目に入る。少し休憩しようかなぁ、とチョコボールの箱をじっと見つめていると、ガチャッと扉が開く音がし た。

「あれ、川村さん。まだお仕事ですか」

今となっては聞き慣れた声だけど、突然声を掛けられて驚いた。心臓が跳ねる。ドアのほうを見ると、そこにはいつも通り白衣を黒く汚した皆川くんが立っていた。

「皆川くん、まだいたの」

気を抜いていたところに入ってこられた動揺を隠して冷静を装う。

「まだいたのってひどいなぁ。こんなに頑張って働いていたのに」

白衣を椅子の背にかけ、皆川くんはふぅと息をつく。

「今日もまた、こんな時間まで炉のメンテナンス?」

チョコボールの箱を左手で弄びながら聞く。皆川くんはぐだーっと机に突っ伏して言う。

「こっちに異動したのはいいけど、営業っぽい仕事まだ一回もしてないんですけど……ってあれ」私の左手をじっと見つめる。「何かいいもの持ってますね川村さん」

「これ?」手の中のチョコボールを皆川くんに見せる。「リエが置いていったの。キャラメル味だけど……食べる?」

「キャラメル味……」皆川くんはがっくりとうなだれる。「キャラメル味なんて見たのは運動会でもらったお菓子の詰め合わせ以来ですよ。こんなものを好き好んで買う人がいるなんて――実は大神さん、川村さんに恨みでもあるんじゃ」

「恨まれるようなことはしてないけどなぁ……境遇だけで言えば私のほうがリエを恨んでもいい気がするけど」まだ白紙ばかりのエクセルシートと他に誰もいないオフィス。

「うまい棒だと思ったら納豆味だったりとか、ハーゲンダッツだと思ったらストロベリーだったりとか、食べ物の恨みは一生消えないんですよ。戦争に発展しても文句は言えないレベル」

「そこまでなのかなぁ」

「でも大神さん優しいから、もしかしたらピーナッツばっかり売れてって山のように残ってるキャラメルがかわいそうで救いの手を差し伸べただけなのかもしれないなぁ。それだったらその心意気を受け止めなきゃいけないなぁ」

「いや、そんなことはないと思うけど」ずっと見てきたら分かる。リエはドライだ。感情に流されることこそあれ、かわいそうだと誰かに手を差し伸べることはない。

「よし、食べましょう。キャラメルでもチョコボールには違いないんだから差別しちゃいけない。お腹すいたし甘いもの食べたい」

「それが本音なんじゃないの? お腹がすいたら生き方だって捻じ曲げちゃうんだ」

「どっちでもいいんですよ。おいしく食べられれば。それに」

「それに?」

「賭けに勝った分がまだ残ってるんです」

皆川くんは窓の外を見る。風も徐々に出てきたみたいで、また強くなりだした雨がぱらぱらと窓に当たって音を立てていた。

やけに大きな音だった。

「やっぱり覚えてたんだ」

「もちろんですよ。忘れるわけないです」よいしょ、と声を出して、皆川くんは席を立ちあがる。「晴れたいい日だったし、じゃがりこだっておいしかったし」

そのまま机の後方を通って私の後ろへやってくる。予想外に近い距離に身を固くした私をすり抜けるように、「行きましょうよ、遅くなっちゃう前に」左手の中のチョコボールをすっと引き抜いた。

え、と声を上げるよりも早く皆川くんの掌の中におさまっていたチョコボールは、私の薬指に引っ掛かって、しゃら、と小さな音を立てた。いつの間にか私の左手は何もない空間を握っていた。

「先に行ってますよー。早く来ないと川村さんの分は無くなっちゃうかも」すたすたと乾いた音を立てて扉のほうに向かう背中を呆然と見る。それは私のものなのに。
 自然にふぅとため息が出てくる。

仕事が遅れるけど、仕方ない。どうせ私も休憩するところだったしちょうどいい。借りを長い間作ったままにしておくのも気持ち悪いし。

のろのろと立ち上がると、その背中を追いかける。

 皆川くんは開けたドアを手で支えながら、笑ってこっちを眺めている。

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