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9.1 - オレンジの万有引力(1)

休日の工場はがらんとしていて寂しい。普段は駐車場をいっぱいに埋め尽くしている車も、煙突から立ち上る蒸気も、モーターが低くうなりを上げる駆動音も今はない。

意外に緑の多かった会社の全景を横目に、玄関を抜けて階段を下りる。日差しを受けるととても暖かい。こんなに暖かい日は久しぶりだった。

腕時計は正午に差し掛かる少し前を指している。家からここまで1時 間はかかったけれど、用事は3分で片付いた。脇に抱えた社名入りの大きな封筒には新製品のカタログと技術資料が入っている。昨日持って帰るのを忘れてし まったのだ。土日で読み終わるように言われていたのに。休日なのにわざわざ、1時間もかけて会社に出向かなければいけないなんて。

し かしこの封筒は、つるつるしてるから滑りそうで怖い。落として失くしたら何を言われるか。何か買い物をして紙袋を手に入れないと。とは思うものの、歩いて も歩いても、目に映るのは狭い幅の川と街路樹、あとは殺風景な住宅街の景色だけ。道を一本出れば大きな国道に出るけれど、それでも車の気配はまるでない。 いつもはうるさいくらいにトラックが走りまわっているのに、やっぱり工場の町なのだなぁと思う。休日には誰もいない。たまに自転車が通り過ぎるだけだ。遥か向こうに自転車の影を見つけて、邪魔にならないように道の端に寄っておく。

やはり買い物をするなら横浜しかないか。セールも終わったばっかりだし、横浜まで着いたならあと少し歩けば帰れるのだけど。せっかく出てきたんだから何もしないで帰るのは損だと思う。

携帯電話を取り出してしばらく見つめる。出かけるならばいつも通りに原田君を呼びたいところだけど、今は少し気乗りがしない。

今の時間、太陽は右手の川の向こう側にある。こっちに向かってくる銀色の自転車がちらりと光を反射して眩しい。銀色の自転車。不意にオレンジの香りがどこからかしてきたような気がしてどきりとした。

皆川くんと一緒にここを歩いて帰ったのはいつのことだっただろう。あれは確か、きんもくせいが咲いた日だった。何かものすごく遠い日の出来事のように思える。あれからまだ1週間と少ししか経っていないのに。

目の前をからからと進んでいく銀色の自転車が目に焼き付いて離れない。あの日は、ただそのうしろ姿だけを見て歩いていればよかった。何も気にせずに歩いていられた。

前から近づいてくる自転車をじっと見つめる。銀色の自転車。私はあまり目がよくないから確信が持てない。持てないけれど、荷台に置かれたファンタオレンジを見てあぁそうなのかと思う。やっぱりそうなのかと。

そこからゆっくりと長い時間をかけて、私の目はこの街の片隅で、はっきりとした像を結んだ。思っていたまさにその像を。

きーっ、と長い時間をかけてブレーキがかかっていく音がする。じつは随分なスピードを出していたらしい自転車は、大きな制動距離をかけて少しずつ速度を落としていく。

どう声をかけたらよいのかすぐには思いつかず、とりあえず深めの会釈をしてみる。

「驚いたなぁ。なにかすっごい睨んでくる人がいると思って見てたら川村さんだった。」

顔を上げると、完全に停止した自転車の上で皆川くんは笑っていた。

「睨んでないよ。目があんまりよくないから、遠くを見るときは目を細めないと見えにくいだけ」

「しかしよく気付きましたね。睨まれてなかったら完全に気付かなかったかも」

「だから睨んでないって」私もつられて笑う。ここは素直に言っておくことにする。荷台のファンタに目をやって言う。「……オレンジの香りがしてたから」

「いやいや。確かにオレンジですけど。あの距離だし、そもそも缶ボトルで蓋閉まってるし、香りなんてするわけないじゃないですか」

「それでもしてたんだもの」目をそらした先には川があって、午前中のまだ拡散しきっていない光がきらきらと水面にあふれている。きんもくせいが咲いた日にだって、こんなにきれいな景色はなかった。

土曜日というのはこういうものなのか。

「それにしてもひどいなぁ。気付かれなかったなんて」自転車の上の皆川くんを、笑いながら見つめる。

「冗談ですよ」皆川くんは私の視線を正面で受け止めながら、ぽりぽりと左手で頭をかく。拗ねたようなしゃべり方。「視界の中にふわふわの髪が入ってきた瞬間に気付きましたよ。遠くからでも見間違えるわけなんてない」

「それはそうと」あわてて話題を変える。こんな会話が続いたら、私のほうが受け止めきれなくなるだろうと思う。「なんで皆川くんはこんなところにいるの?」

「なんでって」皆川くんは首をひねって考え込む。「一応地元なんだから。いてもおかしくはないでしょ。一応、目的地は横須賀スタジアムでしたけれど」

「家ってそんなに近いの?」よくよく考えてみれば、自転車なのだから近くて当然なのだけど。

「近いですよ。歩いてだって行ける」そう言って頷く。「それよりもむしろ、川村さんがこんなところにいる理由のほうが気になるんですが」

「私の理由は単純だよ」脇に抱えた封筒を見せる。「新税品の技術資料、週末で読んどけって言われたのに会社に忘れた」

「会社に忘れた!」皆川くんは驚いたような顔になって、その後で笑う。「いいなぁ川村さん。すごくいい。想像以上に可愛い」

ストレートに示された好意は、どのように受け止めればいいのか分からない。顔が赤くなってそうで嫌だ。だから、わざとそっけない言葉を返す。「それって多分、褒め言葉じゃない……

「褒め言葉ですよ、もちろん」

「そう、ありがとう」

私のいちばん奥で急速に膨れ上がっているこれは何だ。分からないと目をそらすのはたやすい。けれども、無視しても押しこんでも気付いたらいつの間にか染み出している堤防の向こう側の水。

「川村さん、この後何か予定とかあります?」

「うーん……いや、特にないよ」

皆川くんの問いかけに答える。左手に持ったままになっていた携帯を、ポーチの中へしまう。

「じゃあ、海を見に行きましょう」

「海?」

「はい。いい天気だから多分きれいですよ」

皆川くんは、私の返答を待たずにゆっくりと自転車をこぎ始める。

私には躊躇する間などなかったのだ。

踵を返して、もと来た道を逆行していく。会社のほうへと。

くるくる回る車輪の回転に引っ張られていくように、私たちはどんどん加速していく。

「もし私が付いて来なかったらどうするつもりだったの?」

ようやく追い付いた私は、素直に付いてきてしまった負い目を悟られまいと、わざと余裕な口振りを演じる。

「そんなことは考えてませんよ。現に付いてきてくれたし」皆川くんはこちらを振り向くこともせず、歌うようにしゃべる。「それに、川村さんは着いてきてくれるって最初から信じてた」

どうして。どうして私は、この人の後に着いていくことばかりなのだろう。今まで当然のようにあった自分の道が、突然消えてしまったみたい。せめて年上らしく、前を歩くことくらいはしたいのに。いつだって知らぬ間に引っ張られてしまうのだ。

皆川くんが目指している海がどこなのかは知らない。でも、まだ随分先であることだけはなんとなく分かる。そこまで二人で行く。私は皆川くんの後ろをついていく。



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