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3.2 - 不二家のホームパイ(2)

経緯がどうであれ、せっかくあの場から逃れることができたので手を洗うことにする。
 つっかけを履いて右奥へ向かう。同じような飲み会で通い慣れた店だから位置関係は完璧に分かっている。トイレにつながる分厚い鉄の扉を押し開けると暖かい風がもわっと体を包み込む。
 洗面所に備え付けられていた、小学校でよく見た緑色のアルボース石鹸は泡立ちが悪くて、何回も何回もプッシュしないときれいになったように思えない。それにしても信じられないくらいに泡立たない。課長のあの手には何か怪しげな汚染物質でも付着していたのではないだろうか。何度もごしごしと擦る。手にくっついた汚いものを全部落としたい。
 気がつくとトイレの中が石鹸の香りで満たされて、それで少し人心地がついた。

洗いすぎてすーすーする手を眺めてみる。洗いすぎたのかもしれない。少しかさついている。ため息をつきながら顔を上げると、備え付けられた大きな鏡の中の自分の顔と目が合う。それにしてもひどい顔だった。この時間になってメイクが取れかかっているから、ということもあるだろうけれど、何よりも表情がひどい。ストレスからひと時解放されて腑抜けているのか、それとももうストレスに潰されきってしまったのか。

いずれにしても、自分は何をやっているのだろうか。

さっきまで無理に作っていた笑顔を作ってみる。正面から目を見て、首を、それとは分からないくらいに傾けるのがコツ。……なんか違う。疲れているのだろうか。本当にいいのかこれで。こんなものに価値はあるのだろうか。

鏡越しに、開け放された窓が見えたので振り返ってみる。空を直接見たかった。
 月か、でなければ明るい星の一つでも見えないかと期待したけれど、窓枠で切り取られた空には何の気配もしなかった。秋の空は澄んでいてきれいというけれど、港の近くのこの町を覆う潮風が空を隠しているのかもしれない。

しばらくぼーっと窓の外を見ていたけれど、エアコンの室外機が唸り声をあげているだけで、あまり楽しい光景ではなかった。暗くて海も空も見えない。重い扉に阻まれて、座敷のざわめきさえ聞こえない。
 遠い。

この後はどうしよう。ちらりと腕時計を見るとまだ8時だった。少なくともあと1時間は終わらない。長い。けど、適当に回っていればそのうち終わる。

重い鉄の扉を開けると、再びざわめきが私を包み込む。一回抜け出てしまうと、よそ者を押しだそうとするこの圧力に負けてしまう。なんというか入りづらい。

しばらく外の空気にでもあたってから戻ろうかなぁと考えながらとぼとぼ歩く。外に出れば月くらいは見えるかもしれない。すると、さっきまでいた部屋から、後ろ手に襖を閉める姿があった。

「あ、皆川くん」

緑色のウィンドブレーカーを着た今日の主賓の姿を見た途端、自然に声が出た。向こうもこちらに気がついて、照れたように笑った。

「川村さん、お疲れ様です」きょろきょろとはぐらかすような視線で、ぽりぽり頭をかきながら皆川くんは言った。「なんか、水とかそういう平和なものが飲みたくて」

「水?」

「はい。あそこのカウンターで頼めばもらえるかなぁと」

皆川くんは私を通り抜けてカウンターへ向かう。すれ違った瞬間にお酒の香気が漂ってどきりとした。重量感のあるその香りは、ひとりの人間の体温を思わせた。

「すいませーん。水ほしいんですけど……あ。嘘。できたらあったかいウーロン茶がいいです」

私は立ったままでそれを見つめる。無茶なこと言うなぁ。と思う。そもそもホットのウーロン茶なんてメニューになかったし、飲み放題とは言え、どこの部屋の客かも分からないような人にウーロン茶なんて。

あれこれと押し問答をしていたけれど、最終的にオーダーは通ったらしい。カウンターの中の店員が頷くのが見えた。

嬉しそうにこくこくと頷いた皆川くんは、カウンターで待っている間、しきりに頭の後ろをさすっていた。

やがてできてきた、マグカップに入って湯気を立てているウーロン茶はなぜか二杯あって、皆川くんは両手にそれを持って戻ってくる。一つを私に差し出す。

「どうぞ。暖かくておいしいですよ」

「ありがとう……でも、暖かいお茶ってお酒がまわりそうだなぁ。」持ってきてくれたことはありがたいけれど、できれば普通の冷たい水が良かった。という率直な感想を、私は最大限のオブラートに包んで言う。

「アルコールは早く回ってくれたほうが、そのまますぐに抜けてくれるような気がするんです」

訳の分からない理屈をつけて、立ったまま皆川くんはちびちびとウーロン茶に口をつける。後頭部をさすりながら。

「頭、痛いの?」

「久しぶりに飲み過ぎたっていうか、飲まされすぎました。もう二日酔いになってるのかも」

そう言うと皆川くんは、座敷への上がり口にすとんと腰を下ろす。

「お酒、あんまり強くないの?」

私も、人ひとり分くらいの間を開けて隣に座る。

「弱いです。今までの飲み会ではビール2杯くらいで打ち止めでしたし」皆川くんはさらに水をあおる。氷がからからと音を立てる。「――ここの飲み会はすごいですね」

皆川くんは正面を見たまましゃべる。その視線の先に何があるのか見てみたけど、ただ玄関口のべらぼうに高い天井があるだけだった。

「私はずっと管理部門で、こんな飲み会ばっかりだったから。他がどうなのか分からないけど。」そして私は水をちょっとだけすする。「でもまぁ、確かにすごいところはすごい、かな。」

皆川くんは苦笑する。口だけ作ったような笑い方だった。さっきの若さにまかせたような勢いはどこに行ってしまったのだろう、と思うくらいに静かだった。
 二人、座敷への上がり口で隣に座ったまま、正面を見つめている。暖かいお茶を飲みながら。縁側でお茶を飲む老夫婦のほうが、まだ交わす言葉は多いような気がする。

お盆に何か食べ物をたくさん載せた店員さんが私たちの脇を何度も往復している。あれはなんだろうと目を凝らすと、天ぷらだった。エビとイカとかきあげと野菜。みんなは私の分を残しておいてくれるだろうか?

でも天ぷらよりも先に、私にはやらなければいけないことがあった。今日何度目か分からないため息をつく。もう触れたくないけど、やはり言わなければいけない。

「さっきはありがとう」

私は身体ごと向き直る。皆川くんの横顔に向かって言葉を差し出す。

「うーん」皆川くんはぽりぽりと頬をかく。「迷ったんですけど。見てたらどんどん変な空気になっちゃってたから、なんかこう体が勝手に」

伏せられた表情、はぐらかすようにきょろきょろと定まらない目線。昼休みの食堂での視線を、はっきりと私は想起している。

だから私は、その続きが聞きたかった。なんでそんなことをしてくれたのか。なんでいつも私を見ていたのか。今ならば、どんな理由が語られたとしてもアルコールのせいにして笑い飛ばせそうな気がするから。その口が続きを語ることを少しだけ期待したけれど、その先が語られることはなかった。

つかの間の沈黙が下りる。

皆川くんがふふっと笑う。隣にいる私をおいて、相変わらず真っ正面を見つめたまま。

「なんかここ落ち着きますね。縁側でお茶を飲んでるみたいだ」

記憶の中にあるよりも赤味がかった皆川くんの頬を見る。

やっぱり、と思う。

やっぱり皆川くんは私に好意を持ってくれているのだろうと思う。その中身は分からないけれど。

今度は店員が炊き込みごはんを持って慌ただしく出入りしている。明らかに私たちは邪魔だ。でも心地よかった。世界にぽっかりと開いた暖かな洞窟みたい。

襖の向こうには変わらないざわめき。縁側でお茶というにはあまりにも騒がしい場所だけど、確かに会社の飲み会でこんなに落ち着いたのは初めてかもしれないな、と思った。


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